コリン・デイヴィス指揮ベルリン・フィル、ベルリン放送女声合唱団万城目学の「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」を読む。
これは、小学1年生のかのこちゃんとマドレーヌ(猫)と玄三郎(犬)、そしてすずちゃん(人間)たちがおりなす出会いと別れのお話。
かのこちゃんが実にみずみずしく描かれている。親指を鼻の穴につっこんでヒラヒラさせる友達を見て「こいつはできる」と思って近づいたり、難しいことばをいくついえるか競争したり、近所のお祭りではしゃいだり。世の中はちょっとした刺激に満ちあふれていていつも新鮮なのである。
こんなときがあったなあ(遠い目)。
ワタシよりでかい図体を横たえて、ハナクソをほじりつつケータイをいじっている息子をみると、かのこちゃんのような娘だったら欲しかったなあとつらつら思うのだった。
コリン・デイヴィスの初「惑星」、録音は1988年。
ベルリンにはまだカラヤンがいたから、なにしろパワフルである。腕は立つがアクも強い。オーケストラの技術と勢いがすごいから、凡庸な指揮者が務めてもそれなりの演奏ができてしまうが、カラヤン以外の指揮者がリードをすると、パワーが抑制されず本能の赴くままにブチまけられることが多かった。それはそれで面白いところもあるものの、指揮者のやりたいことが伝わってこないところが、いまひとつ腑に落ちないこともある。
デイヴィスは、そこのところをキチンと踏まえて、抑えるべきところを抑えている。スキあらば荒れ狂うベルリン・フィルの精力を注意深く抑え込んで、オレ流のベクトルに合わせていく。デイヴィスの手にかかるとベルリン・フィルもロンドンのオーケストラと遜色がない。
そういってしまうと誉めてるのか貶しているのか、よくわからないようにきこえてしまうかもしれないが、要は指揮者の統率力が一貫していることをいいたいノダ。
「土星」はそんな指揮者の方向とオケの気合いがバッチリ溶け合った演奏だと思う。重心を低くして迫るオーケストラに対して、ひとつひとつの糸を丁寧に編み込むような、繊細で柔和なアプローチが絶妙な味わいを醸し出している。
「海王星」の合唱は、少しザラついている。
1988年11月9-13日、ベルリン、フィルハーモニー・ホールでの録音。
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