プッチーニ 「トゥーランドット」 マゼール指揮 ウイーン国立歌劇場 マルトン(トゥーランドット)、カレーラス(カラフ)、リッチャレッリ(リュー)、他昨晩、大根を切っていたらついでに指も切ってしまった。血が止まらないので医者に行ったら、5針縫うハメになった。最初は絆創膏ですまそうと思っていたが、とんでもないことであった。
おかげで包帯ぐるぐる巻きで、しばらくは字もろくに書けない体になってしまうようだ。
不注意であった。トホホである。
気を取り直して、オペラのお話を。
私が今まであまりオペラを聴かなかったのは、物語が荒唐無稽だということも理由じゃないかと思っている。これはよく言われることだけれども、なぜそうなのか。
日曜日恒例(??)のテキトー音楽論を展開してしまおう。
台本の種類は大きく2つに大別されるようだ。ひとつはオリジナルが存在するもの。オリジナルが文学作品のものは、作曲の都合に合わせて脚色しているので、原作とはだいぶ違ったものになっているものがある。もうひとつは、台本がオリジナルであるもの。これはそもそもオペラを念頭に置いて書かれているので、あまり細部に拘泥していない。
で、個人的には、どちらもそのままでは読むに耐えないものだと思う。それが実際に劇場でオペラを観るとすごく良いのはどうしたわけかというと、音楽の比重のほうが圧倒的に勝っているからだろう。劇場でオペラを観るときにも、字幕はあったほうがいいし、ない場合はおおまかなあらすじを抑えていたほうが楽しめるのは間違いない。
馬鹿馬鹿しいお話は音楽によって昇華されるのである。
これはCDを聴くときも同じようである。あらすじを全くしらなくてもある程度は楽しいが、知っていたほうが深さを感じるみたい。
それは、ざる蕎麦とつゆの関係みたいだ。
つゆをそのままでは辛くて飲めないが、蕎麦をつけることによって絶妙なうまさになる。昔の江戸っ子はつゆはほとんどつけずに飲み込んでいたらしいが、それはあらすじを全く知らないで聴くようなものだったのかも知れない。
なんて。大風呂敷を開いた割にはわかりきった結論なのであった。
さて、「トゥーランドット」、このCDは良くも悪くもマゼール色が強い演奏だ。ウイーン国立歌劇場の総音楽監督時代の数少ない録音のひとつだが、ライブ特有の臨場感はひしひしと感じるし、オケもまったりとしてコクのある響きを惜しみなく出しているし、歌手もそれぞれ健闘していて完成度は高いのじゃなかろうか。
マゼールのオケに対する煽りかたは、かなりキワモノ的なものだ。それが下品になる寸前で止められているのは、ウイーン国立歌劇場管(というかウイーン・フィルといってもいいか)のこってりとした響きであろう。イタリアのオペラハウスはもちろんいいけれど、ここでのウイーンの、落ち着きはあるが軽やかさは微塵もない響きには独自の味わいがある。
歌手ではまずマルトン。それほどいい声だとは思わないが、なにしろパワフルだ。第2幕の後半では、オーケストラ+合唱の強奏のさらに上を飛んで天井桟敷につきささるかのような豪声を聴くことができる。CDで聴いても背筋が震えるほどだから、生で聴いたらおしっこをちびるだろう。
そういうヒトが相手ではカレーラスもつらいが、さすがに土俵際で踏みとどまる粘り腰。少々きついか、という場面もあるが、「誰も寝てはならぬ」では3大テノールらしい(?)ドラマチックな歌を披露してくれる。
リッチャレッリのリューはとても安定していて、聴きやすい。
なんて。偉そうに書いてきたが、「トゥーランドット」はこの盤以外聴いたことはないのだった。
ちなみにこのCDでは場面ごとにトラックわけがされておらず、幕ごとにわけられている。非常に大雑把である。対訳ももちろんついていない。交響曲を聴くようなノリで勝負しろと言われているみたい。無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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