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"あの頃、あの詩を"、F=ディースカウ、"冬の旅"

2014.01.06 - シューベルト

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鹿島茂の「あの頃、あの詩を」を読む。

これは、昭和30年代から40年代にかけて、国語の教科書に掲載された詩のなかから、フランス文学者が編んだアンソロジー。
ふたつだけ、取り上げてみる。


本   室生犀星

本をよむならいまだ
新しい頁をきりはなつとき
紙の花粉は匂いよく立つ
そとの賑やかな新緑まで
ペエジにとじこめられてゐるやうだ
本は美しい信愛をもつて私を囲んでゐる


雑草  大関松三郎

おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまう
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草








フィッシャー=ディースカウの歌で、シューベルトの「冬の旅」を聴く。

ディースカウは、この曲を十数回録音しているとのことだが、だいたい半分は聴いていると思う。そのうち、一番気に入っているのは、バレンボイムとの79年盤である。ディーウカウの感情の起伏の塩梅と、ピアノの情緒とのバランスがいいのだ。
この録音は、78年のザルツブルク音楽祭のライヴ。ポリーニがリートの伴奏をやるのは、いまだにとても珍しい。

ディースカウの歌唱は、ほぼ予想通り。バレンボイム盤と演奏日が近いうえにライヴということもあってか、じつに感興豊か。すみからすみまで、満遍なく情感を醸し出す。ただし、限度を踏み越えないところは、相変わらず感服する。

彼はときとして、端役でもとんでもなく高いレベルの歌を披露する。ベルリオーズの「ベアトリスとベネディクト」やマーラーの「一千人の交響曲」などがそうだ。そのテンションの高さを、この大曲の、しかもライヴで維持し続けていることに驚きを禁じえない。

「凍った涙」での喜怒の幅、「氷結」での美声、「川の上で」での発音の艶やかさ、「烏」での諦念のあらわれ、「最後の希望」での微かな灯りの明るさ、「村にて」における、ユーモラスとも言える語り口、「まぼろし」の幽玄なまでの朗々とした歌いぶり、「宿屋」での包み込まれるような大きさ、「辻音楽師」における豊満さ。素晴らしい。

シューベルトが作った最高峰の歌曲集であり、結果的に晩年の作品になったこの音楽の多くの録音のなかで、私の知る限り本ディスクはひとつの頂点といえる歌唱の記録じゃないかと思う。

ポリーニは、歌手によくついていっている。いい伴奏と言えるかもしれない。ただ、音が美しくない。金属的無機的。これは録音のせいもあるのだろう。なので、ピアノについてはバレンボイムに軍杯をあげたい。



ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)

 
1978年8月23日、ザルツブルク小劇場での録音。






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ma

 
野菜市場。









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