小玉歩の「仮面社畜のススメ」を読む。
1時間程度で読めるビジネス本はろくなものじゃないと常々思っているが、これは30分ほどで読める。パラパラと立ち読みしただけでもそれはだいたい予想できるのだが、それでもときどき手を出してしまうのは、読み捨て感がわりと心地よいからか。
1点、共感できるところはあった。それは、日経新聞など読んでも役に立たない、という意見。
「それよりもあなたに求められているのは今の職務に対する深い知識と探求心です。少なくとも、担当している業務については社内の誰よりも詳しいし、語りつくせる! というくらいまでは勉強して精通しましょう」。
今の時代、新聞が読みたくてひとつだけをとるならば、日刊ゲンダイ。
アシュケナージのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ20番を聴く。
この曲を、シューベルトの多くのソナタのなかでもっとも気に入っている。何年か前にアンスネスのディスクを聴いたとき、その見事さに軽く打ちのめされた。一時期はほとんど毎晩、寝る前にウィスキーを飲みながらシューベルトにひたっていた。
去年の秋に紀尾井ホールで聴いた、レーゼルも素晴らしかった。あの濃密な時間はおそらく忘れないだろう。
アシュケナージのピアノはそれらに比べると、音色が多彩であるぶん、いささか派手なように感じる。そして、細かいところまで手が行き届いたとても丁寧な演奏でもある。
いつも孤独で女にモテないから売春宿に通い詰めるシューベルトという(勝手な)像をおいて聴くと、期待を裏切られる。このピアノは、社交界で煌びやかに立ち回る彼の姿がある。心の奥を深くえぐるような2楽章においてさえも、気の効いた寸劇を観ているかのよう。3楽章は、実に生き生きとしている。孤独から逃避したカラ元気ではなく、ユンケル飲んで絶好調といった感じ。アシュケナージの技が冴えまくる。
終楽章は自身の4番のソナタの2楽章と同じ旋律を流用している。これが最後の楽章に置かれているところが、この曲の工夫だ。ここでももちろんピアニストは手を緩めない。手練手管を最大限に活用し、にぎやかな彩りを描く。
全体を通して明るい色調に染まった演奏である。こういうピアノも、もちろん悪かろうはずがない。
1995年8月、メッゲン、ゲマインデ・ザールでの録音。
夜。
在庫がなく、ご迷惑をおかけします。
6月上旬に重版できる予定です。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR