ベートーヴェン「英雄」 マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団村上春樹の「1Q84」。
私はこの長大な小説を、ものを書くことに対する愛情の物語であると読んだ。この作品においては、小説をリライトする行為がもっとも重要なモチーフになっており、核をなしている。また、引用されたり紹介される作品も少なくない。
アリストテレスの『ニーコマコス倫理学』、『平家物語』、オーウェルの『1984年』、チェーホフの『サハリン島』、ディッケンズの『マーティン・チャズルウィット』、『猫の町』、『大菩薩峠』、プルーストの『失われた時を求めて』、ディネーセンの『アフリカの日々』、内田百閒の『東京日記』、『マクベス』等々。
示唆するところの重量感はそれぞれ違うものの、作品に対する作者のまなざしは優しく温かい。
そのいっぽうで、几帳面で用心深い性格をもつ主役のふたりの真面目さは、まるで村上の初期の頃の作品を思わせ、うまく感情移入できなかった。むしろ、「醜く」て「薄汚い魂」をもつ弁護士崩れの調査員がいい味を出している。この作品のなかでもっとも魅力的な人物だと感じた。
マゼール箱から「英雄」を聴く。彼の指揮でこの曲を聴くのは、ウイーンの音楽監督時代に来日したときにこの曲を取り上げて以来だと思う。当時ではやや贅沢品とされていたクローム・テープを無理して入手してエアチェックしたものだ。もう何年も聴いていないのでどんな演奏だったかは忘れてしまった。長いことどこかで埃をかぶっているから、まだ聴くことができるかどうか。
さてクリーヴランドとのこの演奏は、管弦楽の響きはのっけからとてもシャープ。ことに弦のキザミは力強く存在感があり、意気軒昂。少し前に録音された「アルルの女」のような過剰なポキポキ感はここでは薄く、適度な空気が混ざっているような、ふうわりとした感触がある。マゼールの芸風は70年後半のこのあたりから少しずつ変わっていったということもあるし、当然ビゼーやR・コルサコフへの接し方と、ベートーヴェンとの関わり方の違いにもよるのだろう。
いずれにせよ、全体を通して充実してイキイキとしたベートーヴェン。欽ドン賞決定!ということで、「英雄」の数多い名演奏のなかに加えたい。
1楽章のラストの高らかな主題は、両方ともトランペットあり。
1977,78年、クリーヴランドでの録音
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