小林秀雄の対話集「直感を磨くもの」から、五味康祐との対話「音楽談義」を読む。
この対話は1967年に行われた。内容は、五味のトンチンカンな質問に対し、小林が咎める、といった流れになっている。
五味が「ぼくは『トリスタンとイゾルデ』を聴いていたら、勃然と、立ってきたことあるんで」
などと言うと、小林はワーグナーはそんな挑発的ではないとし、
「ほんとうに慎重で綿密で、とっても意識的大職人だと思う」
と語る。
確かに、作曲家は総じて職人であろう。
小林が音楽談義をするならば、相手は吉田秀和がふさわしかった。ただ、ふたりとも同じ東大仏文科の出ではあっても、10歳以上離れており、交流はなかったのかもしれない。
吉田は小林の著作に触れている(「LP300選」、「之を楽しむ者に如かず」)が、その逆は私の知る限り見当たらない。
小林は吉田の活動についてどんな思いでいたのか、知りたかった。
ショルティ指揮ウイーン・フィルの演奏で、ワーグナーの「ラインの黄金」を聴く。
ショルティは死ぬまで剛腕を振るった指揮者だが、演奏そのものがとんがっていたのは、シカゴ交響楽団の音楽監督就任よりも前の時代だった。
例を思いつくままにあげると、イスラエル・フィルとの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、同じイスラエル・フィルとの「イタリア」、ロンドン交響楽団との「管弦楽のための協奏曲」、あるいは同じロンドン交響楽団とのマーラー「復活」、そしてこの「指輪」などである。
鳴るべき音は最強の音で、リズムは精確無比、浅くて速い呼吸でグイグイと音楽を進めていくところは、聴いていて爽快である。シカゴ交響楽団との落ち着いたスタイルももちろんいいが、このあたりの演奏は捨てがたい。
さてこの「ラインの黄金」、当時としては最高の歌手をそろえていると言われている。確かに、みんなうまいし、パワーがある。ことにロンドンのヴォータンは威容があるし、ヴェヒター、スヴァンホルム、クーエンといったところは性格俳優といったところの曲者を正しく演じている。フラグスタートとワトソンは若干古めかしいが、ギリ大丈夫。しかし何といっても特筆なのは、みんなそれぞれの持ち味を生かしつつも、音楽の流れを損なうことのないバランス感覚を備えていることだ。
時にショルティ46歳。なみいる大歌手を力で抑え込めるとは思えない。なので、鋭くエッジの立った音楽で大歌手たちに迫る。ウイーン・フィルはショルティが相手だと嫌がっていたとよく言われるが、逆に伸び伸びと弾いていたのではないか。特に金管群、打楽器群は。
最後のティンパニのものすごく強烈な打ちこみは、この演奏の最後を締めくくるにふさわしいし、これ以外は考えられないものだ。
ジョージ・ロンドン(Br:ヴォータン)
キルステン・フラグスタート(MS:フリッカ)
クレア・ワトソン(S:フライア)
ヴァルデマール・クメント(T:フロー)
エバーハルト・ヴェヒター(Br:ドンナー)
セット・スヴァンホルム(T:ローゲ)
パウル・クーエン(T:ミーメ)
ジーン・マデイラ(MS:エルダ)
グスタフ・ナイトリンガー(Br:アルベリヒ)
ヴァルター・クレッペル(Bs:ファゾルト)
クルト・ベーメ(Bs:ファフナー)
ウィーン国立歌劇場合唱団
1958年9月、ウィーン、ゾフィエンザールでの録音。
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