ショルティ指揮ウイーン・フィルの演奏で、ワーグナーの「ワルキューレ」を聴く。
これは、「ラインの黄金」以上に、ショルティの手腕が光る演奏だ。
弦楽器はギリギリときしりながら鳴らせ、金管楽器は息が続かぬほどの咆哮を提示する。計算されつくした爆裂の狂気がここにある。おそらく、ショルティ本人はそれらを狂気だとは思っていない。泰然としたものだ。けれど、他の演奏と聴き比べてみたとき、それは歴然とする。直角三角形のトンガリのところみたいにいきり立ったサウンドは、録音後半世紀を経てこれを超えるものはない。
ただやはり、人工的な効果音は鼻につく。こういうものは、なくったって、ショルティの音響があれば、デッカのサウンドとして示しがつくと云うもの。
ウイーン・フィルは、ショルティという指揮者を嫌っていたという話を、いろいろなところできく。晩年の日本公演では、木管奏者が遅刻してきた、なんて話もそれに輪をかけている。しかしそれは、もちろん、全員が嫌っていたわけではなくて、弦楽器かあるいは木管楽器の一部の奏者に限られていたのではないか、そんな気がする。トランペットやホルン、トロンボーンの奏者たちは、ひそかに(?)ショルティを気に入っていたのではないか。あれだけ気前よく吹かせてくれるのだから。嫌いなわけがない。そう夢想する。
さて、あとは歌手。もう、すべて素晴らしい。なかでは、ルートヴィヒとキング、それとホッターがいい。
ルートヴィヒの声は深い。深くて、広い。スタイルとしてはとても汎用的でありながら、要所を突き詰める根性の強さは、隋一だろう。ここでは、オーケストラに負けない存在感を放ってやまない。
キングの歌唱は英雄というにじゅうぶん足りるもの。輝かしく、繊細で、表情が豊か。こういう人がカラオケスナックに来たら、みんな腰を抜かすだろう。
ホッターがまたスゴイ。重量感たっぷりの声。そして貫禄。なんでもありの神らしい、これは重厚さである。声の艶はやや翳っているものの、この存在感は捨て置けない。
ヴォータン:ハンス・ホッター
フリッカ:クリスタ・ルートヴィヒ
ブリュンヒルデ:ビルキット・ニルソン
ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
フンディング:ゴットロープ・フリック
その他、大勢
ウイーン国立歌劇場合唱団
1962年5月、10月、11月、ウイーン、ゾフィエンザールでの録音。
おでんとツイッター始めました!どうだ!
PR