岡野守也の「コスモロジーの心理学」を読む。
副題に「コスモス・セラピーの思想と実践」とある。
著者は本書で、雄大な仮説を唱える。
かつて日本人が信仰していた、神や仏への畏敬の念は今は失われている。「悪いことをすれば罰があたる」という考えがなくなったことで、日本人の精神が荒廃していると言う。そのような現状で、我々は何を信じて生きてゆけばよいのか?
それは、宇宙が137億年前に生まれたということ。
「宇宙が始まらなかったら、私たち住んでいるこの天の川銀河というものはできなかったんじゃないでしょうか? 天の川銀河ができなかったら太陽系もできなかった。太陽系ができなかったら、地球もできなかった。地球ができなかったら、生命は生まれなかった。生命が生まれなかったら、人類は生まれなかった。人類が生まれなかったら、私のご先祖さまも生まれなかった」。
私たちの体には水があり、水素がある。宇宙創成後に創発した水素は、私の体にある!
だから、私たちの存在は宇宙から作られたものであり必然である。それをカテに生きていこうじゃないか、という話。
読んでいる間は納得した。これで、しばらくは生きていけるのじゃないかと。
ただ、現実世界に戻ると些細な問題があまりにも多く、みるみる間に現実世界に引き込まれ、元に戻ってしまった。
私の読みこみが浅いのに違いない。
レヴァイン指揮シカゴ交響楽団の演奏で、マーラーの交響曲3番を聴く。
ゆったりとしていて、縦の線をキッチリと揃え、激しいところでは大きなパンチ力をみせるところは、この時期のレヴァインらしい。とても聴きごたえがある。
この演奏はもともとLPで持っていたのだが、ずいぶん前に手放しているので、CDで聴くのは初めて。
当時からいい演奏だと思っていたけれど、今聴くと、あたかも初めて聴いたような場面がいくつかある。あの当時は、いったい何を聴いていたのだろうと。
この曲の3楽章の中間部にはポストホルンが登場する。この楽器を使っている曲は他にモーツァルトのセレナードのみを知っているが、ここではシカゴ交響楽団の首席トランペット奏者であるアドルフ・ハーセスが吹いている。これも、今回初めて知ったことだ。だからと言って演奏そのものが突出しているかと言われたらそういったことはなく、まあうまいな、くらいの演奏だと言わざるを得ない。そういう性質の曲なのだろう。
マリリンの歌は重厚。年齢は逆になるが、雰囲気と声質がジェシー・ノーマンと似ている。コッテリとしているので、オーケストラ伴奏の音楽が合っていたのかもしれない。
5楽章の少年合唱は、弾むように元気がいい。LP時代からそうだった。女性合唱が途中のリズミカルなところで大きなタメを作っているのは今回気がついた。
終楽章でレヴァインは、ぐっとテンポを落とす。シカゴ交響楽団は、しなやかな弦楽器がそれに呼応し、輝かしくも奥行きのある演奏を繰り広げる。感動的。
マリリン・ホーン(Ms)
アドルフ・ハーセス(ポストホルン)
シカゴ交響合唱団
マーガレット・ヒリス(合唱指揮)
グレン・エリン児童合唱団
ドリーン・レイオ(合唱指揮)
1975年7月、シカゴ、メディナ・テンプルでの録音。
家族連れ。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR
なかなか進まないのですが、池澤夏樹が訳した「古事記」を読んでいます。荒唐無稽ぶりに唖然としています。とても面白いです。昔の日本人とどこかで繋がったような気がします。
現代社会は、ここのところきな臭いですね。
どこかへ逃避したくなります。