桐山俊也、川村丹美の「SEサバイバルガイド」(悪魔の流儀(デーモン・スタイル))を読む。
これは、案件に直面するSEが、数々の難題にどのように対応したらよいかを記述した指南書。
SEというのは、システム・エンジニアの略。適用業務のソフトを開発する場合、入社してしばらくは仕様書に基づいてコードを書くプログラマーとして立ち回る。数年して技術や業務にある程度精通すると、仕様書を書く立場になる。その呼称を、いわゆる「SE」という。
本の内容は、SEになって5年もたてば理解できる。
ここでは、自分のやりたいことを優先に、とか、必要のない会議には出ない、といったありふれたことが書かれている。ただ、これは自社で受託開発した場合、という大前提がある。スケジュールや要員管理は自社の采配である程度コントロールできる立場で、ということである。
よって、例えば銀行のセンターで、派遣契約や請負契約の立場で作業をするといったケースには、ほとんどが当てはまらない。顧客の会社に常駐しているのに、会議をすっぽかすとか、早急の用がないのに会社に泊まるとかいうことは、およそありえない。客先のコンプライアンスに反するからだ。
よって、この本を読んでためになるSEがいるとすれば、とても限られた範囲になるだろう。
ルプーのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ21番を聴く。
この曲は、先週にケンプのピアノで聴いた。それがとても面白かったので、ルプーのも取り出した。
ルプーのピアノは、どちらかと言えば神経質である。音色の配合に注意を尖らせて、吟味に吟味を重ねて音符を積み上げていく。豊かな残響と相俟って、美しい。ときおり光る左手の音が効果的。
2楽章の第2主題は、シューベルトが書いた音楽のなかでも最も崇高なもののひとつだと思う。これは前にも書いた。
ケンプあるいはリヒテルほどのスケールの大きさはないけれども、ソノリティの流麗さと音色のブレンドの芳しさはこちらがいい。
3、4楽章は軽快。大いなる瑞々しさと、仄かな幻想味とを湛えている。
トータル時間は、ケンプよりも短い。だけど、シューベルトのソナタ特有の冗長感はルプーの演奏にしっかりと感じる。なにが違うのだろう。ピアニストの組み立てか、こちらの気分か。
まあ、シューベルトに冗長感があるのは健全だとは思うけれども。
1991年12月、スイスでの録音。
わたしはカモか?
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR