トーマス・マン(高橋義孝訳)の「魔の山」(下巻)を読了。
「実際私たちが死ぬということは、死んでいく当人よりも、むしろあとに残る人びとにとっての問題なのである。」
他の本を並行して読みつつ、全巻通して半年かかった。思えば、もっと時間をかけてもよかった。
以下は、上巻の感想。
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本書は、「ファウスト」や「ツァラトゥストラはこう言った」と並ぶドイツ文学の金字塔とされている。前者はまだ読んでいないし、後者は読んだが正直言ってよくわからなかった。さて、これはどうか。
ストーリーはいたってシンプル。山の上にある療養所に、いとこに会いに訪れた造船技師のハンス・カストルプが、施設の人びとと邂逅する、という話。
療養所といっても、決まった時間帯に簡単な検診があるだけで、一日5食つき、朝からビールは飲めるし、葉巻も吸い放題。
当初は3週間の滞在予定だったのが、体の不調を発覚され、滞在日数は延びに延びる。時間は毎日規則的に、ひどくゆっくりと流れる。
テーマは大きく三つに分かれると思う。
まず、登場人物の啓蒙的な会話。歴史を紐解きながら、政治・文学・音楽・宗教・病気・肉体と精神などについて語られる。
つぎに「神」(著者)の視点から語られる時間論。本書のもっとも大きなテーマと思われるが、少々難解。
そして、恋愛。
ハンスの恋は、物語のスパイスのような形で挿入される。だが、最後に置かれたショーシャ夫人との会話は強く印象に残る。甘く瑞々しい仄めかしと霊感に富んでいて、初期恋愛のピリピリとした緊張感が、おそろしく精緻な筆致で描かれている。心動かさずにはいられない。
時間が、ゆったりと流れる。
前半は退屈であったが、その後は一気に読んだ。
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初夏の青空のような退屈さをときおり感じながらも、厳冬の森の深い迷宮のように豊かな語彙で記される文章はやはり密度が濃い。それらは、有無を言わさず圧倒的なボリュームで迫ってくる。
描かれているのは、時間論や神学など形而上学的話から、政治、音楽、酒、ピクニック、病気、友人の死、冬山のスキー、葉巻、ギャンブル、恋愛、決闘、乱痴気騒ぎ、オカルトまで多岐にわたる。
ここには、人生がギッシリと詰まっている。
腑に落ちたり落ちなかったり、背筋が痺れたり、苦笑したり、感涙したり、ときには、うろたえたり。
下巻では、ハンスの友人にして師である人文主義者のセテムブリーニに加えて、イエズス会士のナフタ、偉大な健啖家ペーペルコルンが降臨、そしてショーシャ夫人が帰ってきて、物語によりいっそうの彩りを添える。
「人生の厄介息子」であるわが主人公のハンス・カストルプが「魔の山」に滞在したのは7年。白紙の状態であった若者は、この奇妙なコミュニティーで、読者とともに精神的な成長を遂げた。
第一次世界大戦の勃発により、物語は終焉を迎える。
戦場でカストルプの脳裏をよぎるのは、シューベルトの「菩提樹」だった。
他の多くの文学作品と同様、もっと若いときに読むべきであった。いまさら云っても仕方がない。
ハンス・カストルプは、心にずっと生き続けるだろう。
シューリヒト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏で、ワーグナーの管弦楽曲集を聴く(1963年2月、パリ、サルプレイエルでの録音)。
「タンホイザー」序曲
「ワルキューレ」第1幕第3場
「神々の黄昏」夜明け~ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱
ジークフリートのラインへの旅
葬送行進曲
ブリュンヒルデの自己犠牲
マリアンネ・シェヒ(ソプラノ)
セバスチャン・ファイアジンガー(テノール)
全体を通してテンポはいくぶん速め、筋肉質な音作りは精悍であり、同時代人のクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのものとはまた違うワーグナーの顔を見せてくれる。
先日にフィリップ・ジョルダンのワーグナーを聴いて感銘を受けたので、同じフランスのオーケストラを振ったこのディスクにも期待を寄せたが、録音を含めてさすがに新味は薄い。
マイクが歌手に近いみたいで、歌そのものは、かなり生々しく聴きとれる。その反面、オーケストラを味わうには、いささか音が遠い。
その意味で、シューリヒトをあてにしてこのディスクを聴くならば、「タンホイザー」がベストと思われる。
ファイアジンガーは明るい声で凛々しく、好み。シェヒのブリュンヒルデは艶があっていい声なのだが、「二重唱」と「自己犠牲」で高音域の伸びがいまひとつなのが惜しい。
春。
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