フィッシャー・ディースカウ EMI録音選集今日から本格的なゴールデン・ウィークである。
途中に夜勤がはいっているものの、いつもより休日が増えることは無条件にうれしいといえる。
ただ、気持ちが休みに入るまでには、いつも通り少々時間がかかる。最初の1日、それと2日目の午前中くらいまでは仕事の残骸が頭の中を駆け巡る。
完封で優勝を決めた日本シリーズのMVP投手のような、仕事のあとかたもないキリの良さというものは望むべくもない。そんなキリの良さは世間の仕事にはそうそうないものだ。
中途半端に残った作業と思索が滓のように身体に沁みついて、なかなか落ちない。しばらくしてようやく落ちたとき、休日をしみじみ感じつつ昼下がりのビールを一杯ということになる。毎週の2連休は、休みモードに入りかけたときにもう翌日の心配をしなければならないので、かえって忙しいのかもしれない。
そんなことを無駄に考えて20年。2週間くらいとるなら別かもしれないが、仕事の合間の休日は仕事のために身体を休めるためのものでしかないようだ。上野千鶴子は「仕事はあくまでメシの種」と言ったが、そこまで割り切るのも精神力がいる。
そのなかで、よい音楽とよい本、そしてビールは休日を有効に過ごすための強力な手段であるが、そのなかでもディースカウの「献呈」はじつに力強い友人になるかもしれない。
「献呈」を初めて聴いたのは、ジェシー・ノーマンの来日公演をテレビで観たときのこと。熱狂の渦のなかでの、アンコールの何曲目かだった。見た目と同様に、ものすごい恰幅のよさと劇的な華やかさはずっと胸に残った。
そのあとに、シュワルツコップやヴンダーリヒといった、のっぴきならない歌手の演奏を聴いても、ノーマンの圧倒的な歌の余韻はぜんぜん色褪せなかった。ノーマン以上の演奏はないのかと。
そこで取りだしたのが、F・ディースカウによるもの。
この人の演奏にはハズレがほとんどないかわりに、大きな驚きも少ない。よくてあたりまえ、という印象が自分のなかでできてしまっているので、それほど期待はしていなかった。
でも、この「献呈」はすごかった。
恰幅の広さはノーマンに引けをとらないし、声のみずみずしさと懐の深さ、そして色気が際立っている。スケールの大きさは、もう王者の貫録といってもいいくらい。
壮大な2分間である。
これだから音楽は油断ならない。マイッタ。
休みが少ないなどとウダウダ言っている自分に、鋭いカツを入れられたようだ。作曲者でさえ、この小品にこんな大きな歌い方ができるのか想像できたのかしら。
1967年9月4-7日、ベルリン、ゲマインデハウスでの録音。
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