この日は、オール・ワーグナー・プログラム。
前半は前奏曲がふたつ。
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、音量たっぷりで悠々とした演奏。息が深い。タイムは計らなかったが、10分は超えていたのじゃないかと思う。実演に接すると視覚的な発見があることが少なくないが、この演奏におけるヴィオラの存在はそんな発見のひとつ。今まで聴いてきたCDでは、あまり目立つことのなかった場面で、ヴィオラが唸ること唸ること。しっかりと音を響かせていて、それが音楽にじゅうぶんな幅を持たせていた。
「トリスタンとイゾルデ」からは前奏曲と愛の死。エロく上昇する音階の連続は、いつ聴いても官能的で、さらに「見る」行為が加わるとよりいっそうに臨場感がある。
後半は「ニーベルンクの指輪」からの抜粋。
各夜から全6曲を抜き出している。これは、通してひとつのシンフォニーとして見立てたような選曲だと思う。
「神々の入場」では金槌担当がタイミングを間違えたので、結果的に2回金槌をぶっぱなすことになったが、さして大勢に影響はない。それよりも、飯盛のやはり呼吸の深い息遣いが印象的。まろやかな金管楽器を要して、これはなかなか懐の深いワーグナーであった。
「ワルキューレの騎行」もまた、視覚的な効果が大きい音楽であると感じた。特に左右の弦楽器。左のヴァイオリンと、右のヴィオラはそれぞれ同じような旋律を機械的に何度も繰り返す。これはけっこうトリッキーな動きであって、単純な動作ながらもピリピリした緊張感にドキドキした。目をつぶって聴いてみると、左右はほぼ同じ音量で演奏されていて、ステレオ効果は抜群であった。座っていたのは、前から4行目向かってやや左の席だったのだが、左右はほぼ均等に聴こえたのは、低音部の押しが強かったからかもしれない。
全体を通して、オケの技量は高い。木管はたっぷりとした充実した音を出していたし、金管のまろやかで柔らかな響きを堪能した。弦はいささか荒い感じがあったものの、全体を通して各声部がはっきり聴き分けられたため、オーケストラの透明感というか見通しのよさに大きく貢献していたのじゃないかと思う。
余談だが、飯守泰次郎は、よくよく見ると内田裕也にそっくりだ。
2011年7月18日、みなとみらいホール。
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