80年代、東京のコンサートホールといえば東京文化会館でした。
ここは玄関のすぐ隣が楽屋口になっていて、音楽が終わった後に
外でうろうろしていると、帰途につく演奏者を見ることができる
のです。
ママさんコーラスの方々から、カラヤン、クライバーまで、
みんな同じところから出てくるわけですね。
ジュリーニがロサンゼルス・フィルを率いてここにやってきたのは、
小生が高校生のときでした。
演奏が終わり、感動さめやらぬバカ面で、いつものように楽屋口に
たむろしていました。
彼のドボルザークの第八交響曲のLPジャケットを持参して。
30分も待っただろうか、楽屋の玄関で臨時のサイン会が始まりました。
待っている大勢のファンに対するはからいだったのでしょう。
暫くして、自分の番が回ってきました。
緊張の面持ちで、彼がかすかに微笑んでいるLPジャケットを
差し出しました。
するとどうでしょう、彼は満面の笑みで私を見上げ、
さらさらとサインをした大きな柔らかい掌で私の汗ばんだ手を
握ってくれたのです。
どうしようもなく手前味噌ですが、あの笑顔は、他のファンへの
対応よりも親愛の情がこもっているような気がしたのです。
アホですね。
感動でした。
「このヒトに一生ついてゆこう」と誓ったことは言うまでもありません。
ジュリーニは若いころからオペラでの評価が高い人でしたが、
日本での人気がブレイクしたのは、シカゴ響を振ったマーラーの
「第九」がレコードアカデミー賞をとった、70年代後半から
だったと思います。
彼の名盤は数多く、あげればキリがありませんが、
あえて今の気分でいえば、シカゴ響とのシューベルトの「ザ・グレイト」
と、ロサンゼルス・フィルとのシューマンの「ライン」です。
シューベルト「ザ・グレイト」シューマン「ライン」/ベートーヴェン「第5」シューベルトは、第1楽章の第1主題が登場する部分。
おそらく世界で一番遅い演奏、かつ、これ以外ありえない演奏。
シューマンは第5楽章の冒頭。スタッカートではなくテヌートで始まる。
他に事例がない、かつベストの解釈。
小生は、これらのシーンを「ジュリーニ・マジック」と勝手に命名
して、ひとりで喜んでおります。
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>北区王子に住んでいた僕は文化会館には思い入れがあります。一番近所のホールとしてよく行きました。あの独特の作りと歴代の大勢のサインがぎっしりの楽屋の壁は懐かしい記憶です。東京を離れて何年も経ちますが、ふと恋しくなるのは親しんだ上野界隈の風景です。
吉田:
私は昔、歩いて通っていました。1時間くらいかけて。若さって、可能性ですね(?)。
80年後半くらいから、東京には、サントリーホールとか、オペラシティとか、小ジャレたホールがたくさんできましたが、文化会館の独特の雰囲気は何物にも代え難いものがあります。音響だって悪くないですし。