村上春樹の「雑文集」を読む。
「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです」
これは、誰かの本の解説や音楽雑誌に寄稿した文章、あるいは挨拶など、本として発表されていない文章をまとめた本。
まさに題名の通りで、内容はさまざま。
エルサレム賞を受賞したときの有名なスピーチ「壁と卵」は含まれている。受賞のあいさつ・メッセージのくだりは読みごたえがある。
それに対し、音楽や翻訳について語っている章はあまりピンとこなかった。彼はクラシック音楽も好むから、ベートーヴェンやシューベルトについて書かれているかとおもいきや、ほとんどがジャズとロックに関するもの。
翻訳はチャンドラーやサリンジャーのあたりは楽しく読んだが、オースターやフィッツジェラルドは苦手なのでパス。
なので、音楽・翻訳のところは半分以上すっ飛ばした。
ゆえに、まともに読んだとは言えないが、ところどころ光るものがあるので油断できない本だ。
ショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場の演奏で、ヴェルディの「ドン・カルロ」を聴く。
ディースカウのヴェルディは、イタリア語がいまひとつで劇的進行を妨げる、といったようなご意見をよく聴く。だが、存在感はじゅうぶんだし、なにしろうまい。浮いているとは思わない。彼の声はどの作曲家の歌であっても、聴けば彼だとすぐにわかるくらい個性が際立つ。ここでもそうである。
あれだけのレパートリーを誇るということは、ニュートラルな声が求められるはずだと思うのだけど、そうでないところが面白い。それがディースカウの偉さだと思う。
歌手ではあと、ギャウロフとバンブリーがいい。ギャウロフは安定感抜群。どこを叩いても揺るがない。バンブリーの歌は、はちきれんばかりのエネルギーをおしみなく開放したもの。可憐であるとともに、強力なパワーを感じる。このディスクの一番の聴きものかも。
ベルゴンツィはまずまず、テバルディはやや不調。
ショルティの指揮は、適度にいきり立っていていい。切り込みが鋭いし。出るところは出るが、歌手を邪魔しない。
こうしてショルティで聴くと、コヴェントガーデンのオーケストラもたいしたものだと思わないではいられない。
イタリア語、5幕版。
カルロ・ベルゴンツィ(テノール:ドン・カルロ)
レナータ・テバルディ(ソプラノ:エリザベッタ)
ニコライ・ギャウロフ(バス:フィリッポ2世)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン:ロドリーゴ)
グレース・バンブリー(アルト:エボリ公女)、他
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団
1965年6月~7月、ロンドン・オペラ・センターでの録音。
1月。
3月に絶版予定。。
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