ヴェルディ「アイーダ」 サンティ指揮 ヴェローナ歌劇場パスカルの「パンセ」を学生時代に一度読んだが、覚えているのは「人間は考える葦である」という言葉があったという記憶だけで、あとは忘れてしもうた(実はこの言葉も間違いであるのだが)。
木原武一の「哲学からのメッセージ」によれば、この書はそもそも、キリスト教を啓蒙するため、つまりキリスト教のセールスマンを目指して書かれたものであるといっている。
パスカルは「説得術について」という論文でこう言っている。
「何を説得するにしても、説得しようとする相手の人間に注意しなければならない。すなわちその人の精神と心情を知り、相手がどんな原理を承認し、どんなものを愛しているかを知らなければならない。つまり、説得術とは説き伏せる術であるとともに、また気に入られる術でもある」。
少々大仰なレトリックであるが、これは現代のセールスマンのみならず、ほとんどのビジネスマンにも通用する考え方であろう。
パスカルの文芸活動の代表作である「パンセ」を、こういった視点から読み返してみるのも面白そうだ。
サンティ指揮ヴェローナ歌劇場の演奏でヴェルディ「アイーダ」を聴く。
エッジのよく利いたオーケストラに歌手が歌合戦を繰り広げる。
タイトル・ロールのキアーラはこの曲を得意としているようで、マゼール/スカラ座でもこの役をこなしている。
彼女は表情の濃い、伸びがあって鮮烈な歌を聴かせる。アリアでもツボをキッチリ押さえており、万全の歌である。
ヨハンソンのラダメスは輝かしい。こういった祝祭的なオペラに最適な声と感性をもっている。ポンスのアモナスロは貫禄たっぷり、ライヴの感興をじわじわと感じる。
サンティの指揮はキビキビとしていてとても若々しい。歌手にぴったりと寄り添っているし、盛り上げるところは火山の噴火のようにブチかます。
ヴェローナのオーケストラは合奏は完全ではないものの、ことのほか歯切れのいい音でこれに応えている。こういうオケのもとならば歌手は歌いやすいのではないかな? 実際にはどうかわからないが、なんとなくそんな気がする佇まいである。
マリア・キアーラ(アイーダ)
ドローラ・ザジック(アムネリス)
クリスティアン・ヨハンソン(ラダメス)
ホアン・ポンス(アモナスロ)
ニコラ・ギュゼレフ(ランフィス)
アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団
1992年7月、ヴェローナ歌劇場での録音
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