フラグスタート、ズートハウス、グラインドル、F・ディースカウ、そしてフルトヴェングラーとくれば役者が揃ったようだが、一見地味なフィルハーモニア管弦楽団が実にいい味を出しているのは見逃せない。
前奏曲から明快で素直なサウンドが満開で、ことに木管と弦がいい。高音域でのキザみの輝かしい音色、中低音域のどっしりした実直な音響が心地よい。そして、この曲によく登場するクラリネットとオーボエの、細やかで芯のしっかりした美音に、これは歌の一部なのだということを思い知らされる。
歌手では、イゾルデのフラグスタートが安定している。重厚なオーケストラに負けていない。ワーグナーの管弦楽によく溶け合った声だ。声もオーケストラの一部なのか、それともオーケストラが声の一要素なのか、ともかく浮き上がったところのない互いの密接なつながりを感じる。
高い音を出しにくくなっていたフラグスタートに代わり、高い音をシュヴァルツコップが替わって歌った、という逸話があるが、聴いただけじゃわからない。「赤福」にしても「白い恋人」にしても偽装はよくないこととされているが、マスコミの報道でギャーギャー騒いでいる人に味はわからない。よって、偽装する気もわからなくはない。文句があるなら味の違いを指摘すれば良いのだ。
F・ディースカウのクルヴェナールは、立派のひとこと。役柄を完全に手中に収めているかのように思える。張りのある恰幅のよい声で、かつ全体の流れに違和感なく溶け込んでいる。
それからコヴェントガーデンの熱い合唱。登場する場面は劇的緊張感のあるシーンに限られるところで、瞬間的に沸騰するような熱狂に(特に1幕のラスト)一役買っている。
ブランゲーネのシーボムは声がいい。フラグスタートよりむしろつややかといえる。ほどよく落ち着いた保護者の率直さに安心できる。
グラインドルのマルケ王は重厚にして華麗であり、王様の貫禄充分だ。
トリスタンのズートハウスも文句のつけどころがない。声はあまり張りのあるものではないが、情熱のたっぷりはいった歌いぶりは、フラグスタートと色が似ている。あえてそうしているのか。フルトヴェングラーの指示なのか。このふたりの二重唱は、声質も歌いまわしも互いにとても馴染んでいる。
フルトヴェングラーの指揮は、ゆったりしたテンポで、流れがとても自然。違和感や滞りは、全体を通して見当たらない。PR
無題 - rudolf2006
Re:rudolf2006さん、こんばんは。 - 管理人:芳野達司
コメントありがとうございます。
『トリスタン』はいいですね。このフルヴェンだけでなくベーム盤やクライバー盤を聴きかえしてみたくなりました。
賞味期限についてですが、生ものはだいたい2日から3日、それ以外では数週間から1ヶ月は延びても全く問題ないとうのが経験則です。そもそもの期限が厳しすぎる設定であり、普通に食べるのであればもっと延長してもいいのではないかと思います。食べても問題ないものが捨てられてゆく問題はないがしろにされていますね。賞味期限を多少偽装したところで、たいした影響はないにも関わらずあれだけバッシングされるところに、今の日本に病気を感じます。
それはともかく、フルヴェンの『トリスタン』、いくつか書きましたが指揮者とクルヴェナールとマルケ王が最高でした。個々の歌手の出来はスタジオであってもムラがあるものなのでしょうが、全体を統括する指揮者の完成度が、演奏を左右するものだと実感しましたね。
2007.12.23 22:59
無題 - bitoku
Re:bitokuさん、こんばんは。 - 管理人:芳野達司
コメントありがとうございます。
トリスタンは3種もっていますが、このフルトヴェングラー盤は聴き応えがあります。なによりオーケストラがいいし、歌手もほぼ万全、そしてフルトヴェングラーの指揮が素晴らしい上に、録音も良好です。
御大がこの録音に満足していたことは、うわさで聞いています。彼がどういう観点で満足するのかは計り知れませんが、この録音がとてもバランスがよいことは聴いていてわかります。
全編が、歌とかオーケストラろいう枠組みを超えたところにあるところ、これは御大のなせる業なのでしょう。ひとりひとりの歌手の出来を評価する気もうせる気がするほど、まとまりがあるというか、ひとつの音楽として一貫している感じがします。
シュヴァルツコップフが代わりに歌ったというところは、確かによく聴いてもわからないくらい巧妙ですが、そういう伝説的エピソードもこの名録音に花を添えているような気がします。
2007.12.24 23:51
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