小谷野敦の「帰ってきたもてない男」を読む。
表紙に記載されているコメントがふるっている。
「たとえこれ以後どれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで童貞だったという怨念だけは忘れない」。
ただ、本文はいささか肩透かしだ。なにしろ著者は当時バツイチ。恵まれているほうであろう。離婚できるということは結婚経験がなければできないのだから。当たり前である。それを鑑みると、なにを言おうといまひとつ説得力がない。
私の周りには、50歳をすぎても結婚はおろか、おそらく素人童貞であろう男が何人もいる。彼らからしてみれば著者の悩みなどはごくありきたりなのではあるまいか。下には下がいる。
まあ、怨念だからいいのか。
20歳代までの「もてない男」にとっては本書は新鮮なのかもしれない。中年男にとってはあまり参考にならない。
ただ、7章の「ブス」に関する考察は卓見。
コリン・デイヴィスの指揮、ドレスデン・シュターツカペレの演奏で、モーツァルトの「魔笛」を聴く。
「コジ・ファン・トゥッテ」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」それにこのオペラをもって、モーツァルトの4大オペラとすることがある。この中では、もっとも聴く機会の少ないオペラ。アンサンブルの見事さは「コジ」、メロディーの美しさでは「ドン・ジョヴァンニ」、バランスがいいのが「フィガロ」。
それらに比べると、「魔笛」は音楽の流れがときおり唐突になることがある。メロディーやアンサンブルは最高。文句なしなのだが、経過句というか継ぎ目が荒いような気がする。ときに場面が一転する。
もちろんこれは、他の3作と比べてのことであって、重箱の隅をつつくようなもの。
あと、出演者に夜の女王やパパゲーノなどアクの強い役が何人かいるため、全てが揃ったディスクとなると、選択肢が狭まるのだ。セリフが多いのも気が引ける原因。このデイヴィス盤は、後にセリフをカットした2枚組が出たようだが、これはセリフを含んだ3枚。
昔、クレンペラーがセリフを全部カットして録音したことで問題視されたことがあったようだが、今となってはそれはじゅうぶんにアリ。
さてこの演奏、オーケストラが最高だ。くすんだ音色の按配がいい。重すぎず軽すぎず、適度な湿度でもって、きめ細やかに奏される。とくにいいのは弦楽器。なんともコクがある。これを生で聴けたなら、どんなに感銘を受けることか。指揮者のデイヴィスのリードがいいからそうなったことは、言うまでもないだろう。
歌手ではまずシュライアー。録音時期を鑑みると、全盛期をわずかに過ぎているかと思われるが、艶のある美声は衰えなし。タミーノとして、恐らく理想的な歌唱。
セッラの歌は、あまり評判がよくないようだ。だが、たしかに声がツラそうなところはあるものの、地声がとても綺麗なのでそこは許してしまう。2幕の「復讐の炎は地獄のように胸に燃え」では、細いが何とも言えない可愛らしさが溢れ出ている。「夜の女王が可愛らしくていいのか」というツッコミもあるだろうが、いいのだ。
メルビエのパパゲーノはうまい。うまいが、これはかなり知性の高いパパゲーノだ。この役というと、どうしてもショルティ(旧盤)のプライを思い出してしまう。貫禄のある太い美声で、ちょっとマヌケなパパゲーノ。あの愛らしさを知ってしまうと、他の歌手はやりにくいだろう。でも、それを考慮に入れなければ、なかなかいい歌唱。
全体を通して、オーケストラの魅力が満載の演奏。最近、この曲を聴いていなかったので、他のも聴いてみたくなった。
ルチアーナ・セッラ(夜の女王)
クルト・モル(ザラストロ)
ミカエル・メルビエ(パパゲーノ)
ロバート・ティアー(モノスタトス)
マーガレット・プライス(パミーナ)
ペーター・シュライアー(タミーノ)
マリア・ヴェヌーティ(パパゲーナ)
テオ・アダム(弁者)、他
ライプツィヒ放送合唱団
1984年1月、ドレスデン、ルカ教会での録音。
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「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR