ロベール・カザドシュのピアノ、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルの演奏で、サン=サーンスのピアノ協奏曲4番を聴く。
中学生の頃、クラシック音楽の指標のひとつとなったのは、吉田秀和の「LP300選」だった。これは本当に何度も何度も、ボロボロになるまで読み返した。そのボロボロは、今も手元になる。
彼の影響は甚大で、褒めるものは積極的に聴こうとしたし、その逆に対しては黙殺した。そのひとつが、サン=サーンスである。
彼はこう書いている。
「私は、この人の器楽は、もうやりきれない気がする。一体、これは本当の芸術家の仕事なのだろうか。彼の旋律-有名な『交響曲第三番』『ヴァイオリン協奏曲第三番』『ピアノ協奏曲』第二、四、五番などの主題をきいてみたまえ。なんという安っぽさ、俗っぽさだろう! そのうえ、あとに出てくる発展は、もう常套手段ばかり」。
だが、このブログを始めてから、仲間たちの記事を拝見すると、この作曲家についていいことが書いてある。なかなか魅力的に思えた。それでここ10年くらいやっと、サン=サーンスを聴き始めた。
そして、彼の、特に室内楽曲をとても気に入った。とりわけ、オーボエ・ソナタや七重奏曲は抱いて寝たい、とまではいかないけど、そのディスクはずっと手元に置いておきたい。
そういうわけで、サン=サーンスのピアノ協奏曲のまだ初心者である。
リヒテルがまだ元気な頃、FMで5番の演奏を聴いたことがある。いい曲のような気はしたが、それ以降積極的に聴こうとは思わなかった。
コラールの全集を買ったのは3年ほど前。ようやく、ピアノ協奏曲の全貌とまではいかないまでも、一端をとらえることができた。
コラールの音は硬いから(録音の加減もあるかもしれない)、情緒だけに溺れることなく、明晰な音が目の前に繰り広げられた。
このカザドシュもフランス人。録音年代はコラールに比べて古いけれど、生々しい音を出している。押したらすぐ返されるような、弾力のある音。潤いに満ちていて、かつダイナミックに溢れている。
が、この演奏では、オーケストラの出来の良さを抜きにして語れない。どの楽器もじつに雄弁。それはうるさくなく隠れもしない、いい按配の鳴りかたなのである。フォルテッシモの場面でも音が塊にならず、ひとつひとつの楽器がほぐれるように、あたかも小さな生き物のような温かみをもって響いている。
曲もなかなかいい。ただ、2楽章でピアノが奏する旋律(開始後1分くらい)はとても魅力的でありつつも、唐突感は否めない。メロディーはいいのに、前後の連携がいまひとつの感がある。構造上の問題だろうか。しかしラストは、華麗にカッコよく締めくくられる。
たまには聴きたい曲だ。ピアノが登場するコンサートと言えば、チャイコフスキーの1番やらラフマニノフの2番、シューマンあるいはショパンばかりだが、そのうちのせめて2割くらいは、この曲に譲ってもいいのではないだろうか。
1961年10月、ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音。
森。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR