川上弘美の「ニシノユキヒコの恋と冒険」を読む。
これは、女たらしの男の人生の恋を、10人の女の観点から描いた小説。
ルックスが良くて、性格は優しくて、セックスもうまい男の恋愛遍歴。対象は女子高生から、人妻まで年代も人種もさまざま。だが、最後には必ず女に去られてしまう。
どこが問題なのか、と問われると、男の私にはよくわからない。彼は、会社の重役も務めていて経済的には余裕があるわけだから。
さらに不思議なのは、このニシノという男、別れた女とは友達として付き合いが続く。女から別れることになったからそうなのか、と言われると私の乏しい経験上、別れてからも続く関係は、なかなかないように思うのだ。
だから、この小説、面白く読んだが、ホントウのところ、なにを示唆しているのかわかりかねるのであった。
川上はもちろん女であるから、そのあたりの目線が違うとしかいいようがない。
女って、なにを考えているのだろう。
ピノックによるモーツァルト「プラハ」交響曲を聴く。
「ピノックに駄作なし」と言い放ったのは、かの音楽評論家、三浦淳史であるが、いままでピノックを聴いてきて、これは間違いではないと思う。
バッハやヘンデル、パッヘルベル、ヴィヴァルディ、そしてこのモーツァルトを聴いたが、みな水準を超える出来だと思う。
「プラハ」交響曲をチェンバロの伴奏つきで演奏する例は少ないけれど、この演奏ではまったく違和感がない。バッハのように登場回数は多くないものの、ここぞという場面で、キラリと光っている。
弦楽器は瑞々しいし、木管も生き生きと歌っているし、金管やティンパニも出しゃばりすぎず引っ込みすぎず、ちょうどいい加減で鳴っている。
モーツァルトを古楽器で演奏し始めたのは、アーノンクール、そしてホグウッドという流れになっていて、ピノックはそのあとになるかと思う。だから、とんがった新しさはないものの、よくこなれた古楽器の演奏をここでは聴くことができる。
古楽器といっても演奏のスタイルはさまざま。その中でピノックのは、中庸を踏まえたもの。こういう演奏を聴くと、モダン楽器とピリオド演奏とのわけ隔てはナンセンスに感じる。深く腑に入る演奏である。
トレヴァー・ピノック(指揮、チェンバロ)
イングリッシュ・コンサート
1993年9月、ロンドン、ヘンリー・ウッドホールでの録音。
うろこ雲。
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