高村薫の「わが手に拳銃を」を読む。
これを大幅に書き直した「李歐」は前に読んでいたが、内容は忘れているので問題はない。←ないのか?
国立大学に通うエリート候補の若者が、過去に起きたある事件を究明するために犯罪に手を染めるようになり、中国人のギャングと出会う。これが「李歐」である。ただ、この作品では彼はさほど前面に出てこない。むしろ、刑事の存在感が大きいと感じる。
高村らしい、微に入り細にいった工場の描写はさすがである。相当な取材をしたのだろう。感服する。そこはじっくり読んでも、あるいは読み飛ばしてもいいだろう。
警察とヤクザとの交錯はもちろん、警察内での駆け引きやヤクザの抗争も臨場感豊かに描かれている。
この作品のテーマは、「縁」であると思う。工場主との、刑事との、李歐との。みんなに引きずりまわされながらも、自分のやり方を貫こうとする主人公は魅力的で、刑事もまたいいのであった。
ケンプのピアノ、クレーの指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲21番を聴く。
出だしから、クレーのリズム感の良さに痺れた。テンポはややゆったり目であり、バイエルン放送響はしっかりと地に足をつけた演奏を繰り広げる。
ケンプのピアノは滋味深い。音はほんわかとして綺麗で、まるい。
ピアノの導入部はいささか不安定だが、徐々にこなれてくる。最後のカデンツァは、ゆったりした空間をひろびろと飛翔するように駆け抜ける。変幻自在にして、幽玄。そんじょそこらの若者では出来ない芸当だ。
2楽章もいい。ケンプの手厚く深いピアノの音に、抜群の安定感を備えたオケがサポートする。この音楽は、モーツァルトの数あるなかでも幽遠な雰囲気のある点において出色の音楽であると思うが、ケンプとクレーの手によって、あたかも天上にいるが如くの感慨を得られる。
3楽章も楽しい。ケンプの指が速さに追いつかないのは愛嬌と言うしかなく、全体の構成を損なうほどではない。なんといってもクレー/バイエルン放送響の堂々とした響きが素晴らしい。おそらくケンプが指名したのであろう、適役というのを超える活躍ぶりである。
1977年5月、ミュンヘン、ヘルクレスザールでの録音。
冷やし中華とツイッター始めました!秋を走る列車。
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