西村賢太の「墓前生活」を読む。
いままでに読んだ彼の作品には、必ず藤澤清造が主要な位置を占める。西村が傾倒している大正時代の私小説作家である。
その傾倒ぶりを率直に描ききったこれは短編である。
七尾にある藤澤の菩提寺を毎月訪れ、お坊さんに彼の人となりを聞く。旅行費用は「月に二度は行っているソープランドを一度に減らすかもしくは廃止」して捻出するのだ。
あるとき、藤澤の墓標が縁の下にあることをつきとめる。なにがなんでも探し出したい。気が進まぬ副住職をむりやり動かしてとうとう発見し、高さ2メートルの墓標を、自宅のアパートに持ち帰る。狭いわが家にそびえ立つ墓標。
坪内祐三によれば、これが西村のデビュー作であるとのことだ。文章に曇りはなく、すでに彼のスタイルが完成されている。
坪内の解説が、また面白い。
ヴァントの指揮で、ブルックナーの交響曲6番を聴く。
先日に聴いた4番が良かったので、ヴァントのスタイルであれば6番もいいのじゃないかと予想したが、果たしてよかった。
繊細にして輝かしいブルックナー。響きが混濁せず、見通しがいい。
1楽章は、高らかなブラスのファンファーレも素晴らしいが、弱音の個所が光る。とても丁寧に弾ききっている。
この演奏の白眉は2楽章。じっくりと鳴らされる弦はしっとりとしていて、かつ緻密。情に流されず、知性が強いところはヴァント流だが、ここでは崇高なまでに美しい。ブルックナーのアダージョは、特に後期のものは比類のない音楽であるが、この演奏でならば、7番や8番に劣らない。乱暴に言えば、この楽章で完結しちゃってもいいくらい。
3楽章も明快。響きが透き通る。
終楽章は第2主題がいい。弦の肌理細やかなニュアンスが効果的。フォルテッシモが強烈なだけに、この微妙な味わいが引き立つ。
ラストは力強く毅然として締めくくられる。
北ドイツ放送交響楽団は、ここでも好調。
1995年5月15日、ハンブルク、音楽ホールでのライヴ録音。
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