フリッチャイ指揮ウイーン饗/モーツァルト交響曲39,40番 他今日は終日雨模様。たまにはヘッドフォンではなくスピーカーで音楽を聴こうかと棚を物色。雨でもあるので音量をいつもより大きくしてみる。
ミケランジェリのラヴェルとラフマニノフのコンチェルト、グールドの新しいほうのゴルトベルク、そしてフリッチャイのモーツァルト。
ミケランジェリのラヴェルは、以前に1度聴いたきりで忘れ去っていたが、よく聴くとピアノもオケもいい。これについては、後日書けるかも知れない。
グールドのCDはもう何度聴いたかわからないくらい、ことあるごとに取り出している。ジンセイのいろいろな局面での孤独な時間をこのCDでどれだけ癒されたか知れない。
これについても記事にしたいけれど、思い出が重いで(笑)すので、何を書いたらいいか迷ってしまう。
そこで、フリッチャイ。
この盤をここで紹介するのは2度目である。
このCDを最初に聴いたときは、「フィガロの結婚」序曲があまりにも良すぎて繰り返し5回聴いたのだが、今回聴いてみると、39番の演奏の良さが五臓六腑に染み渡った。
変ホ長調のハーモニーで始まる曲といえば「皇帝」が有名だが、これはそっくりである。いや正確に言えば、作曲されたのはこちらが先だから、「皇帝」が39番に似ているのだ。後にピアノが出るか、ティンパニが出るかの違いである。
どちらも、澄み切った秋の青空のように爽やかな出だしなのある。
フリッチャイの演奏の良さは、主となる旋律と同じくらいの力加減で副声部を際立たせていることと、自在なテンポの変化が自然なことだろう。その結果として音楽がとても生き生きと聴こえる。
第1楽章のみずみずしい序奏のあとに第1主題が登場するところで、溜めていたエネルギーをそうっと噴出すようなホルンと弦の掛け合いがある。ここの部分に差し掛かると、毎度ながら背中がぞくぞくとして、口が緩み、お尻が酸っぱくなる。いつ聴いても生命の誕生するような新鮮な驚きを感じるのである。
この後にくる第2楽章は、意外なほどのおそさ。このテンポが自然に思えるのは、楽章間の有機的なつながりを指揮者が強く意識しているからだろう。ウイーン饗は、驚くほどうまいというわけではないが、それぞれの楽器が誠実に愛でるように弾かれていて、しみじみと聴き入る。
こういう演奏の前では、モダン楽器か古楽器かという議論は二義的なものに過ぎないのかもしれない。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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