マーラー 交響曲第4,7番 レヴァイン指揮シカゴ交響楽団昨日、駅のトイレに財布を忘れた。
電車に乗ってから気付き、途中で引き返してトイレに行ってみたが、案の定見当たらない。
それで、駅の事務所に立ち寄って聞いてみると、「ああ、これですか」と。それはたしかに私の薄い財布であった。お礼をし、拾ってくれたヒトの連絡先のメモをもらって退散。
なくなったときのことを考えなかったわけではない。各種カード会社に連絡して停止してもらうこと、警察署で運転免許の再発行手続きをすること、されに健康保険組合に連絡して保険証の再発行、図書館の貸出証、医者の診察券、ブックオフ、ゲオ、HMV…。今後は保険証など持ち歩くべきではないと反省もしたわけ。
早速電話してみると彼は駅の近くにいたので、会ってお礼をすることができた。金額の1割は固辞されたので、菓子折りなどを贈ろうかと思う次第。いいヒトである。自分の人生が、人の情や好意にいかに助けられているのかがわかる。
とりあえず、トイレに入って財布を置くクセを直したほうがいいかもしれない。
実は2度目なのであった。
第7はマーラー。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのLPを図書館で借りて聴いたのが初体験だったはず。その後、ロンドンのサンプルCDで終楽章の冒頭を聴いたのが、とても印象的だった。
ショルティの演奏。ティンパニの乱れ打ちを聴いて、さすがマーラーなんでもアリだ、と思った。
バーンスタインの演奏でそこの印象がないのは、たぶん途中で力尽きたので終楽章までたどり着かなかったのだろう。
この交響曲は5楽章から成っていて、「夜の歌」と呼ばれる2,4楽章が有名だが、1楽章も3楽章も夜っぽい。したがって、夜・夜・夜・夜・昼という具合に構成されている、感じがする。
ただ、レヴァインの演奏は、夜の濃厚な暗さというものは希薄で、全体に輝かしいものだ。
メリハリをハッキリさせた楷書の味わい、そしてあまりテンポを揺らさないのはこの指揮者のいつものやり方で、そのあたりはショルティに芸風が似ている。ただこの演奏では録音の効果も関係するのか、ティンパニの響きがとても厚くて、全体に明るいけれども線の太い仕上がりになっている。
今の気分で対抗盤は、インバル、テンシュテット(80年)、ハイティンク(82年)。
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