チャイコフスキー 交響曲4~6番 ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル関東は梅雨入り宣言した翌日から晴れ模様。皮肉というかなんというか。
当たらない天気予報、嫌いではない。むしろ、全然当たらなくて、みんなからブツブツ言われるくらいがちょうどいい。世間話のネタにもなる。
新聞というものは、おおむね過去の事実を記事にするものだが、未来の出来事を書いている、いや書こうとしている数少ない欄が、天気予報と占いだ。
私は臆病なので、占いを信じようとしない。だから、なるべく占い欄に視線を飛ばさないようにしているのだが、なにかの拍子に見てしまって、これが悪そうだったりすると軽く落ち込む。また、良いときは、逆に疑ってしまうので、これもまた愉快ではないのだ。どちらにせよいい気分にならないので、はなから信じないことにしているわけ。
天気予報を信じないのは、これとは違う理由で、どちらかといえば人間が未来のことを予言することに対する怖さから感じるのだと思う。だから、はずれて大いに結構。
布団を干すには、ちょっと不便ではあるけれど。
第6はチャイコフスキー。この曲を初めて知ったのは、ネスカフェのCMである。汗みどろの岩城宏之が演奏するのが「悲愴」だと知ったのはどこでだか思い出せないが、とてもインパクトがあった。第1楽章のバス・クラリネットのppppppから爆発するくだりである。これは面白い音楽だと思った。当時は「田園」の嵐の部分と区別がつかず難儀したものだ。なにが難儀なのかわからないが。
最初に買ったLPは、カラヤン指揮フィルハーモニア管の擬似ステレオ盤。これは何回聴いたかわからないくらい、毎日のように取り出したもの。今でもこれは同曲の最上の演奏のひとつではないかと思っている。
もうひとつの気に入りは、ムラヴィンスキーのもの。
ムラヴィンスキーの演奏はいつも殺気立っている。半端なものはない。彼の演奏を知るには今では残されたCDを聴くしかないけれど、聴くたびに感服してしまう。
いつも感じるのは、研ぎ澄まされたヴァイオリンの音。アンサンブルはきっちりと整っていて、冷ややかに光を帯びた刃物のように鋭角的な切れ味をみせる。感覚的にはチェリビダッケの演奏の口当たりに似ているけれど、ムラヴィンスキーのほうが切り込みが深いようだ。
もちろん、レニングラード・フィルがよい。全体的にレベルが高いが、やはりヴァイオリンの精度の高さがすばらしく、比類ないものだ。この演奏は、チャイコフスキーの音楽をロシアのものとか西欧的だとか区分けするような議論を超越したものだと思う。
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