マーラー交響曲第4番 クレツキ指揮フィルハーモニア管 エミー・ローズ(S)村上春樹の「今は亡き王女のための」を読む。
「スポイルされた美しい少女」との一時期の邂逅を描いた小品。先週に偶然に手に取った村上の短編集「回転木馬のデッドヒート」のなかの一編。この小説を学生時代に読んでから、しばらくたったあとに少し気になっていて、長いあいだ「納屋を焼く・その他の短編」に含まれていたのではと思いこんでいたら、この本にあったのだった。思いがけない再会。
未知なるものへの憧れと思いがけない性欲のちからをうまく描いていて印象的だったが、それは今読むといささか色褪せる。そうじゃないかなとある程度予想はしていた。作品の責任ではなくて、読み側のとらえかたと体力の問題なのだろう。
この本には名作「レーダーホーゼン」も入っている。この短編は最近に文春文庫から出た沢木耕太郎編纂の「右か、左か」にも収録された。この本には、先日に紹介した庄野潤三の「プールサイド小景」も含まれている。村上、沢木、庄野と、気になる作家がこの本によって繋がった。
クレツキという指揮者をあまりよく知らないが、これは聴き応えのあるマーラーではないかと思う。
冒頭の鈴の重みのある手応えは、ケーゲルの名演奏を彷彿とさせる。まさに手作りのような肌触り。なんて、そんなことを言ったら、音楽の演奏はなんだって手作りなわけだけれど、この演奏からはとても朴訥とした味わいを聞き取ることができる。
ショルティやカラヤンの演奏だって手作りに違いない。ヴァイオリニストだってティンパニストだって額に汗をかきかき、ときには全身に冷や汗をかきながらマーラーの音楽に取組んでいるはずだ。
このクレツキの音楽は、いい意味で、ときおり透き間風がそよぐようなゆるやかさがある。ショルティたちの演奏がガラス張りの高層ビルであるならば、クレツキのは一本一本の柱をカンナで丁寧に削った木造建築の味わいがある。月並みな言い回しで恐縮だが。
作品にせよ人にせよ、適当なスキがあるほうが、親しみやすいものだ。
フィルハーモニア管は、50年代後半においては間違なく第一級のオーケストラであることは、カラヤンやクレンペラーの音楽を聴いてみればわかることなわけだが、このマーラーではそういったビルトゥオーソ的な感触は薄い。全体の色合いはくすんだ感じ、手触りがゴワゴワしていて、なんとも朴訥、そしてひとつひとつの節々があたたかい。マーラーの音楽がこんなに暖かいものだったとは。これはクレツキの采配の妙にほかならないが、このようなスタイルも演じられるフィルハーモニアの技量にも改めて感服である。
1957年4月~6月、ロンドン・キングズウェイホールでの録音。
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