小林秀雄の対話集「直感を磨くもの」から、永井龍雄との対話「芸について」を読む。
職人にとって道具は大切であるという話から、ある大工さんのエピソードが開陳される。
先輩と一緒に仕事をしていて、あるときカンナを忘れた。仕方がないので、先輩のじいさんにカンナを貸してくれと頼んだら、「あれば重宝なものさ」、と言って貸してくれた。ただ、渡すときに妙な顔をしてニヤっと笑った。変な顔をするなと思いつつ、その大工は、あとになってその理由に気づく。
「ああそうか、あの時にじいさん、女房を貸せって言われたような気がしたんじゃないか」
彼はとても恥ずかしくてたまらなくなり、地面を這って歩いたという。
いい話である。
アンドラーシュ・シフのピアノでベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」を聴く。
このディスクは2枚組であり、19世紀と20世紀との2台のピアノによる「ディアベリ変奏曲」が収録されている。今週は、1921年に製作されたべヒシュタインによる演奏を聴く。
シフの演奏は相変わらず、微に入り細に入り、ひとつの楽譜も置き去りにしないほどの目配りがされている。繊細なタッチでもって、細かい強弱の変化を織り交ぜて、全曲を飽きさせないで聴かせる。
ことにピアニシモはひときわ美しい。その艶は生まれたての真珠のように一粒一粒がぷっくりしており、弾力感はあたかも肉厚の昆布のよう。
32番目の変奏は全曲中で最もダイナミックが強い曲だから、多くのピアニストが腕をふるってヴィルトゥオーソを発揮するが、シフは最後にどんでん返しを見せる。うーん、こんなやり方があったのか。意外でありつつも、全曲のバランスを考慮すると納得。
ライナー・ノートでシフは、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアやミサ・ソレムニス、後期の弦楽四重奏曲は尊敬はされるものの愛されないと言っている。軽い気晴らしとは無縁だからだ。なかでも「ディアベリ変奏曲」は難物だと言う。
「ドラマティックなもの、威厳があるものもあれば、抒情的なもの、優しいものもある一方、滑稽なもの、横柄なもの、哲学的なもの、神秘的なものもあります。(中略)このような傑作は何度も何度も繰り返して聴く必要があります。我々演奏家にしても、生涯を通じてその秘密を理解しようと努めなければならないのです」。
その努力の、ほんの一端でしかないかもしれないが、理解できたような気がする。
2012年12月、ルガーノ、スイス・イタリアーナ放送アウディトリオでの録音。
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