内田樹の「街場のメディア論」を読む。
著者の、記事を売るためには問答無用に変化を求めるメディアへの批判は、論理的であり切れ味鋭く納得させられる。
が、ここでは本に対する愛情に溢れたこの文章をとりあげたい。
「僕たちは書棚に『いつか読もうと思っている本』を並べ、家に来る人たちに向かって、いや誰よりも自分自身に向かって『これらの本を読破した私』を詐称的に開示しています。その詐称から引き出す利益が多ければ多いほど、『これらの本をいつか読まねばならぬ』という切迫感はいや増す。書棚というのは、そういう力学的な構造になっている。」
これは、書棚に配架することができない電子書籍に対する明らかな批判であるが、賛成。自分はこういう人間なんだということを、自分に向かって発信せずにはいられない。
ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ブルックナーの交響曲8番を聴く。
トータル・タイムは79分程度なので、中くらいのテンポだと言えるが、全体的にやや遅めに感じるのは、ひとつひとつのフレーズの呼吸が深いからだと思う。その表情は、ときに厳粛でときに朗らか。そして響きはたっぷりとしたコクがある。
ヨッフムのブルックナーの響きは透明感よりもカタマリ重視であるが、それはここでも同じ。それがコンセルトヘボウの厚い管弦楽と相俟って、なんとも云えぬ深い音世界を築いている。コーヒーで言えばウイーンのウインナ・コーヒーであり、ビールで言えば、ヨナヨナ・エールである。この演奏においては、細かい解釈の披露は二次的なものであり、ブルックナーの響きの厚みというものを心ゆくまで堪能できる。
全体を通していい演奏だが、強いてひとつあげるとすれば、アダージョ楽章のクライマックスのハープ。熱く熱く粘りに粘った弦楽器の上から、天使の囁きがしっかりと聴こえるところは感動的。
小さな瑕疵はいくつかあるが、ライヴだから当たり前だろう。最近の録音はライヴと言いつつ、複数の演奏会のいいところを繋ぎ合わせて仕立てている。バーンスタインがDGで始めて広まった手法だが、あんなものはライヴ録音とは言えない。
1984年9月26日、コンセルトヘボウでのライヴ録音。
冷やし中華とツイッター始めました!ヘンリー。
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