安田佳生の「私、社長ではなくなりました」を読む。
著者は、元ワイキューブの代表取締役。
ワイキューブとは、新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけ、2007年には売上高約46億円を計上したベンチャー企業。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。この本には、その顛末が描かれている。
ビジネス本の位置づけなのに失敗談。これはなかなかユニークである。ひも解くと、著者は自分に甘く、人にも甘い性格だということがわかる。満員電車に乗るのがイヤだから10時始業とし、また従業員に楽しんでもらうためかなりの経費を使って社内のフロアにバーを作る。受付のあるオフィスを求めて、所在地をコロコロ変える。
財務に疎いから資金繰りがわからず、やがて破綻。
著者が羽振りの良かった頃に出した「千円札は拾うな。」という本を昔に読んだ。そこで彼は、従業員全員にタクシー通勤させるのが夢だと語っていた。面白い発想だと思ったが、「社長ではなくなりました」を読むと同様の記述がかなりある。この人は、ただの甘ったれオヤジなのである。
ただ、凡百とある屑ビジネス本に比べれば、失敗談であるだけに面白い。
ルドルフ・ゼルキンのピアノ、クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の演奏で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」を聴く。
ゼルキンの「皇帝」、先週に聴いたバーンスタインとのものは1962年の録音だから、これは12年後の演奏ということになり、彼が74歳のときのものである。
一流の音楽家というのは指揮者を始めとして、ほとんど年齢のぶんまでキャリアが続く。ピアノやヴァイオリンなどの器楽奏者は自分で演奏しなくてはならないからいくぶん短いが、それでも80歳過ぎまで現役でいる人は少なくない。
だから錯覚する。いわゆる勤め人は、まあだいたい60歳が定年である。それでいったん、仕事のキャリアは終了である。そのあと働き続ける人もいるが、70過ぎまで働く人は少ない。だから、ゼルキンの74歳は、決して若くはない。しかも彼の仕事は、大勢の人前でピアノの高度なテクニックを披露するという、けた外れにストレスフルなもの。
でもこの演奏は、そんなことを鑑みないでも、じゅうぶんにスゴイ。20代、30代のピアニストでさえも、ライヴではポロポロとミスをする、そういう曲なのに、である。何事もなかったかのように、というと語弊があるが、余裕たっぷりで平然と弾ききっている。実際は、大変困難な道を歩んでいるのだろうが、そう感じる。
この録音、バーンスタインとやったCBSよりもいくぶん残響が多く、響きが柔らかい。生でゼルキンを聴いたことはないが、おそらくこちらのほうが実際の音に近かったのではないか。冒頭のカデンツァからいきなり、一粒一粒の音が丸々とした真珠のように煌めいている。
深い呼吸でもって、精確な間をとる。激しい箇所では怒涛のように突き進む。フレーズの切れ目でときおり聴かせる、アクセントの強さはライヴならでは、手に汗を握る。オーケストラとのバランスは絶妙。
クーベリックだからヴァイオリンは対抗配置。ときおり右から聴こえるヴァイオリンが楽しい。2楽章はスケールが大きく、かつ繊細。弦楽器の肌理の細かい音色が心地よい。サポートは間然とするところなし。
ライヴなのに、何度聴いても飽きない類の演奏だ。
1977年10月30日、ミュンヘン、ヘルクレスザールでのライヴ録音。
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