朝日新聞はもはや現政権の腰巾着に成りはて、体制への批判能力がないというテイタラク。もう購読をやめようと思っているのだが、営業の青年がダチョウ倶楽部のリーダーにそっくりな気のいい奴なので、なんとなく断れずにいる。
とはいえ、わずかではあるが読むに値する欄もあることはある。毎週木曜日、髙橋源一郎の論壇時評である。
今週は、菅原文太について書いている。言うまでもなく彼の本業は俳優であるが、晩年は政治的活動に踏み出し「行動する知識人」と見做されるようになったらしい。雑誌「現代思想」4月増刊号は、彼の特集になっている。
菅原は、対話に際してまず「知らない」ということを宣言する人だった。
髙橋は東日本大震災直後、「恋する原発」という小説を書き、菅原から対談の依頼を受けた。会って最初の一声が、「あんたの小説は面白いが、難しいねえ。説明してくれるかい?」だった。
俳人・金子兜太への最初の一言、「俳句はまったくの門外漢でありまして。残念ながら金子さんの俳句も・・・・・・」。
後輩で憲法学者の樋口陽一には、「オレは早大法学部中退なんだけど、じつは日本国憲法をよくよく読んだのは今回が初めてなんだ(笑)」。
けれど菅原は不勉強な人間ではなかった。神田の「東京堂書店」を贔屓にし、膨大な注文をしていたという。
髙橋はロラン・バルトを引いた内田樹をさらに引き、こう言う。
「『知性』とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。菅原のように、である」
だとしたら、齢をとることもあながち無駄にはならないか。
ダチョウのリーダーは、読んだかな。
グリモーのピアノ、ザンデルリンク指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏で、ブラームスのピアノ協奏曲1番を聴く。
グリモーのピアノはまったりとしたコクがある。ビールでいえばアサヒ・スーパードライではなく、サッポロ・黒ラベルといったところ。それがブラームスの色調というか佇まいにすんなり溶け込んでいて、違和感がない。
この曲は激しいから、いわゆるヴィルトゥオーソのとんがった演奏というのも少なくない。ベルマン/ラインスドルフやダグラス/スクロヴァチェフスキ、ワイセンベルク/ジュリーニなどなど。それはそれで魅力的であるが、このグリモーのようなしっとりとした演奏も悪くない。
音色は夜露のような湿り気を帯びていて雰囲気が濃厚でありつつ、色彩は明るめなので、暗くならない。その輝きは、青年ブラームスの赤い頬のよう。
ザンデルリンクは予想通り、ぶ厚い響きでもって実直にサポートしている。
ただ、終楽章の最後近くのクライマックスのところで大きな変化をみせる。どんどんと圧力をかけてくる弦楽器の波を、レガートで弾かせているのだ。これは、あの「レガートの鬼」であるジュリーニ(勝手にそう呼んでいる)でさえ、やらなかったこと。これが恐るべき効果を生んでいる。だれも止めることができない青春の凱歌。最初に聴いたときは全身に鳥肌がたった。
スゴイ工夫である。
1997年10月、ドレスデン、シャウシュピールハウスでのライヴ録音。
おでんとツイッターやってます!夏の終わり。
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