O・ヘンリ(小川高義訳)の「最後の一葉」を読む。
「肺炎という古いやつが騎士道精神を伝えていたとは言いがたい。おだやかなカリフォルニアの風に甘やかされて血の薄まった小娘では、手を赤く染めて息を荒くする怪人には格好の餌食で、これでは卑怯だとも言えようが、はたしてジョンジーがねらい打ちされて、ほとんど寝たきりの病人になった」。
ジョンジーは部屋の窓から見える、蔦の葉っぱを見てこう言う。
「最後の一枚が落ちたら、あたしも終わりね。三日前からわかっているのよ」。
秋の冷気に打たれた葉は、日ごとに少なくなる。ジョンジーは観念する。が、ある日事件が起こり、彼女は命を取りとめる。
あまりにも有名な短編。いろいろとパロディにもなっている。
ただ、それらは、ただのメロドラマ。
O・ヘンリの筆致は、ドライでハードボイルド。文章そのものをじっくり味わいたい。
すると、ほのかな苦い味も感じ取れる。
クーベリック指揮パリ管弦楽団の演奏で、ベートーヴェンの交響曲6番「田園」を聴く。
HMVの紹介記事によれば、「管楽器ソロが活躍する《田園》でこのチョイスは成功」とある。パリ管は管楽器が優れていると言っているようだ。果たしてどうだろう?
パリ音楽院管弦楽団は確かに素晴らしい管楽器を持っていた。彼らが演奏するラヴェルやベルリオーズ。脱帽である。ただ、パリ管はまったく別の団体。良くも悪くも現代的にまとまっている。強いて言えばホルンはなかなかいいけれど、あとはフィラデルフィアやコンセルトヘボウのほうが上なのではないか、と思う。
むしろ、この演奏で優れているのは、クーベリックの統制力だろう。とても折り目が正しい。すみずみにまで目が行き渡っていて、丁寧。全体的にゆっくり目のテンポをとっているにも関わらず、精妙とは言い難いパリのアンサンブルをキッチリまとめあげている。
ヴァイオリンの対抗配置はこの曲でも効果的。
適度に鄙びた、いい「田園」である。
1973年1月、パリ、サル・ワグラムでの録音。
海へ。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR