筒井康隆の「モナドの領域」を読む。
「1+1=2というのは事象の本質やイデアに基づくもので、事象の本質は数みたいなものだからね。これに理由を与えることはできないんだよ。」
帯には、著者自身の「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」との言葉が載っている。
その通り、大変面白かった。
ある郊外の街で、若い女性の片腕と片足が発見される。まったく手がかりがなく、警察は手をこまねいている。
いっぽう、死体が発見された近くの美術大学の教授に、「GOD」が降臨する。口コミで集まった人びとを相手に公園で集会めいたことをしていたが、男に手をふるって大けがをさせる。逮捕され、地方裁判所の裁定を受けることになる。
最大の読みどころは、この法廷劇。頭脳明晰なやり手の検事と「GOD」との論戦は、手に汗を握らないではいられない。「GOD」の存在をまっこうから否定する検事は、会話のなかで徐々に「神」を信じざるを得なくなってくるのだが、最後までツッパる。長い論戦を終えて論告が終わった後、検事は号泣する。
事件解決のくだりは非常に難解。哲学や宇宙物理学に堪能ではないと手が出ない。ここは筒井の真骨頂だろう。ただ、雰囲気でなんとなく納得した。この際、犯人はどうでもいいのだ。
文中にも明示されているが、これは「カラマーゾフの兄弟」のパロディであるし、またジョージ・バーンズが神を演じたカール・ライナー監督の映画「オー!ゴッド」の影響もあると睨んでいる。
読むのは遅いのにも関わらず止まらなくて、1日で読了した。面白かった!
クーベリック指揮イスラエル・フィルの演奏で、ベートーヴェンの交響曲4番を聴く。
この4番は一昔前、C・クライバー/バイエルンの演奏が出現して評価が一変したことがある。あのように快速にやることはあまりなかったからだ(それまでもムラヴィンスキー/レニングラードがいたが、表に立っていなかった。改めて聴くと、オーケストラの技量で完成度はこちらが上)。クライバーのは、まさに血気盛ん、終楽章でファゴットがコケても、ものともしない勢いがあり、じつに痛快なもの。彼らはこの曲を、偶数番号の中でも積極果敢な交響曲というイメージを作り上げた。
そのいっぽう、昔ながらの、といってもステレオに入ってからの話であるが、ワルター/コロンビア交響楽団の演奏を始めとする、ゆったりしたテンポの演奏も、いまでもなお支持されている。
クーベリックの演奏は、後者だ。弦楽器をゆったりしっとり鳴らせた、風雅溢れる演奏である。DGの目論み通り、イスラエルのオケはこの曲に合っている。
このオーケストラを東京2度、生で聴いた。世評通り、弦楽器がいい。シカゴやフィラデルフィアのような華やかなものではない。ウイーン・フィルに近いのじゃないかと思う。音質そのものは渋く、まるでいぶし銀のようである。それに対して、木管楽器と金管楽器はそれほどでもないので、ひときわ弦楽器が映えていた。
この演奏も、そうだ。出だしがいい。じっくりとすみずみまで楽譜を味わい尽すような弾き方。なにしろ肌理が細かい。ウイーンの甘くてこってりと苦いコーヒーのよう。イスラエルには行ったことがないので、わからない。。
さっき、木管楽器の悪口を言ったが、2楽章のメインテーマを吹くオーボエとフルート、ファゴット、クラリネットはなんとも素朴な味わいがあって、一興である。というか、かなりいいな。才能があったら、一句ひねりだしたいところ。イスラエルの木管は、こんなに良かったか。これはクーベリックの指示で前面に立ったのかもしれない。
3,4楽章もじっくりしている。終楽章はいくぶん速いか。それでも、縦の線は決して乱さない。副声部でリズムを刻むクラリネットがいい。夢のようにユーモラスであるし、存在感がある。
いい演奏である。
1975年9月、ミュンヘン、ヘラクレス・ザールでの録音。
海へ。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR