ベートーヴェン 交響曲 第5番 アバド指揮ウイーン・フィル白石一文の「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」を読む。
主人公は胃がんを患った大手出版社の編集長。ネットカフェ難民や代議士汚職の取材、また自身の同僚の妻との不倫を通じて、経済とセックスと人生について語りつくす。
少し長いが、主人公がネットカフェ難民を批判する部下を宥めるセリフを引用しよう。
「同一労働同一賃金というのは、労働者たちが長い歴史の中で勝ち取ってきた最も重要な権利だってことを忘れないで欲しい。使用者および管理職と見做されない一般の被用者は、同じ労働をすれば同じ賃金を得る基本的な権利を持っている。つまり、現在の正規社員と非正規社員とのあいだの賃金格差は、彼らが同じ労働をしている限りはまったく不当なものということになる。アルバイトだろうがパートだろうが、季節工だろうが、そんな呼び名は関係ないんだ。小劇団で活動しているフリーターが、たとえ好んでそういう働き方を選んでいたとしても、だからといって同じ作業をしているのに隣の正社員よりずっと少ない賃金しか支払われていなければ、それを『あいつは好き勝手な夢を追っていて、どうせこの仕事は腰掛けだと思ってるんだから構わないさ』と正当化するのは許されないってことだ」。
ラストは少し意外だが、サービス過剰感がある。とっ散らかったまま終わらせてもよかったように思う。
アバドによるベートーヴェン「5番」を聴く。
彼がウイーン・フィルを振ったベートーヴェンのDG録音は総じて退屈だが、この5番は多少いい。
ウイーン・フィルの音は、このオーケストラに期待するほどの品質ではないものの、適度な柔らかさと重量感はある。
全体的に中庸なテンポをとっており、新味はない。ある程度のレベルのオーケストラをある程度の指揮者が振れば、このくらいの演奏はできるような気がする。例えば、メニューインが逆立ちしてベルリン・フィルを振ってもこのくらいはいける(昔、実際にやっていた)。しかし逆にいえば、安心して聴いていられるということはあるし、そういったレベルの演奏が安定して供給できているという評価はまあ可能だ。
長所は、ピアノ(ピアニッシモ?)における音の透徹感。1楽章の展開部の静かなところ、それと3楽章の終わりのあたり、キリリと締まった弦のうえに木管やティンパニが重なるところ、ここらへんは美しい。焦点をあてて丁寧な訓練を重ねたのだろう。
アバドという指揮者のシンフォニーを聴くのなら、ベートーヴェンやブラームスよりも、マーラーだろう。改めてそう思う。
1987年10月、ウイーン、ムジークフェライン大ホールでの録音。
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