amazonやHMVのユーザー・レビューを読むと、絶賛の嵐である。
フルトヴェングラー・クラスとの呼び声も高いようだ。
批判しようものなら、袋叩きにあいそうな雰囲気である。
それほどみんながいいというのならば聴いてみたくなる。
テンシュテット/ベートーヴェン「第九」マリアンネ・へガンダー(S)
アルフレーダ・ホジソン(A)
ロバート・ティアー(T)
グウィン・ハウエル(Bs)
ロンドン・フィル/ 同合唱団
録音:1985年9月13日、ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール
演奏時間:16:01+10:58+16:51+23:39=67:29
正直いって、テンシュテットという指揮者をマーラー以外にいいと思ったことはあまりないのだ。
84年にロンドン・フィルと来日したときに、ブルックナーの「第四」を聴いた。この来日時にはマーラーの「第五」もやっていたのだが、そちらのチケットは完売していたのだ。
このブルックナー、あまりピンとこなかった。第4楽章のティンパニがショボかったこと以外は、あまり覚えていない。
テンシュテットは、とても細かいところを入念に、暗く響かせようとするヒトなので、そういうやり方は、音楽に暗さを求める私の嗜好と合っているはずなのだが、なぜかウマが合わない。
また、お互いの趣味が合わないのも、原因のひとつかも知れない。
気難しそうにみえる彼だが、演奏会が終わった後、ゆうぽうとの楽屋口でサイン会をしてくれた。
前に並んでいるみんなは、プログラムの白いところ、つまり演目の書いてあるページを差し出してサインをもらっていたのだが、私は全体的に黒っぽく写っている彼の指揮姿のページを差し出したのである。
指揮姿にサインがあるべきと思っていたからだ。
テンシュテット一言。
「ダーク」。
ちょっと躊躇しながらもサインをしてくれた。
黒っぽい絵を好きなのかなー、と思ったのだが…。
後で少しだけ後悔をしたが、自分ではそんなに悪くないと思う。
左下から右上にかけて曲がりくねった黒い線が直筆。
写メールだとわかりづらい。デジカメがほしいなあ。
でも、確かに「ダーク」だ。
さて、このCD。
BBCの放送であるに加えて、アルバート・ホールでの収録というのが
気になったが、案の定、トンネルで演奏しているように残響が多い。
実際に会場で聴いてもそうなのだろう。
冒頭からむせるような熱気をムンムンと感じる。
第1楽章の盛り上がりの部分(再現部のクライマックス)では、後方から金管楽器がじわじわと押し寄せてきて、なかなか迫力がある。
第2楽章もライヴならではの臨楊感がたっぷりだが、途中で木管楽器と弦楽器との掛け合いがひどくズレているところがあり(しかも2回続けて)、ちょっと気になる。CDとして繰り返して聴くとなると傷は小さくない。
考え方を変えれば、ズッコケさ加減が面白いといえなくもないか?
第3楽章は、ゆったりとした弦の響きが普通にいい。
アカッカで続く終楽章は、全体的に速めに進行する。
間をおかずに低弦で奏される「歓喜の歌」は、フルトヴェングラーのようにもったいぶらず、あっさりと奏される。
テノールの独唱の場面は、ティアーの元気いっぱいの絶唱と、容赦なく打ち鳴らされるシンバル、キラリと光るピッコロが効果的に盛り上げていて、この演奏の最大のヤマ場となった。
終結部も、やや速めのテンポで幕を閉じる。シンバルの音がここでもでかく、効果大。
実際に生で聴いたら、かなり興奮する演奏だったことは間違いない。
ライブ演奏がCDという商品になることを想定したときに、どれだけ演奏者の意図を汲めるものなのかは録音技師の手腕と制作者のポリシーにかかるところ大だが、このCDは実演との隔たりが大きい部類に属するのではないか。
「アルバート・ホールでの第九」という祝祭的な世界と、テンシュテットの孤独な情念の世界とが、結果的にうまく噛み合わなかったことが、CD化によって露呈されたと思う。
とはいえ、「最高」とはいえないまでも、演奏はよかった。
少々の傷はあるけれど、ライヴならでは熱演を聴かせてくれて、楽しませてくれた。
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