シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団
ベルリオーズ「イタリアのハロルド」 他パガニーニがベルリオーズに、「ヴィオラ協奏曲」として作曲を依頼したが、途中経過をみて「ヴィオラの出番が少ないじゃん!」というようなことを言って、失望してしまう。
もちろんベルリオーズは、そんなことでは挫けない。せっかく途中まで書いたので「ヴィオラ独奏つき交響曲」として再度練り直した、といういわくつきの曲である。
現在では、このやり取りが本当にあったのか疑問視する声もあるようだが、話としては面白い。
ベルリオーズとパガニーニが一緒にいるところを見てみたいものだ。
両者ともアクの強いヒトであったから、会話は弾まないことだろう。
もちろん、髪型についても、お互い対抗意識を持っていたに違いない。
ふたりが議論している2つ隣くらいのテーブルで、ビールを飲みながら、なま暖かい目で眺めてみたいものである。
ニコロ・パガニーニエクトル・ベルリオーズさてこの曲、前半はヴィオラの活躍の場は多いが、だんだんと尻つぼみになっていき、終楽章にいたっては、ほとんど刺身のツマのような扱いである。
パガニーニの不満もわかる。
スタジオ録音ならば出番のないときに「王さんの病状が心配ですなー」などといいつつ一服していればいいだろうが、コンサートでは、居心地悪いだろうな。
マーラーの「復活」や「第四」の歌手ならば、出番は最後なので、途中からの出演も可能だが、「イタリアのハロルド」でのヴィオラは、むしろ前半に出番が多い。
終楽章にもチョビッと演奏しなきゃいけないわけだから、たちが悪い。
もしかしたら「シェエラザード」の独奏ヴァイオリンよりも出番が少ないのではないだろうか。
どちらの出番が多いのか、ここはひとつ堀井憲一郎に調べてもらいたいものだ。
堀井憲一郎さんについてでも、これは一応交響曲なので、ヴィオラの出番が少なくても、文句を言われる筋合いはないのである。
デュトワの演奏は、めくるめく色彩感が眩い。ベルリオーズの管弦楽の妙味をこころゆくまで堪能できる。激情は控え気味。
関東の夏の、じわじわ迫りくる太陽ではなく、カラっと晴れた南欧の輝きのよう。
ズーカーマンのヴィオラはうまいが中庸に徹している。この曲が交響曲であって、ヴィオラ協奏曲ではないことを熟知した弾きぶりで、オーケストラとのバランスがとてもいい。
なお、このCDには序曲「ロブ・ロイ」が収録されている。
「イタリアのハロルド」の習作ともいうべき作品で、「ハロルド」の旋律が頻繁に出現する。
名曲ではないかも知れないが、ほのぼのしていて、捨てがたい曲である。
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