O・ヘンリー(小川高義訳)の「千ドル」を読む。
ある青年が叔父の遺産を継いだ。額は千ドル。いかにも中途半端な額だと彼は言う。「つましい幸福な家を持ってロックフェラーを笑いとばす」、あるいは「マディソン・スクエア・ガーデンを一晩借り切って講演会」、あるいは「ニューハンプシャーあたりの町へ行けば、そこそこの暮らしが二年はできる」そうである。現在の日本円にすれば、数百万円、といったところだろうか?
遺書を管理する弁護士は、千ドルの使い道を伝えろという。不審に思いながらも、彼はあることに千ドルを使い、弁護士のところに出向くが・・・・・・。
青年の名はジリアン。カッコいい。
光文社古典新訳文庫(芹澤恵が翻訳)も合わせて読んだ。芹澤のはどちらかと言えばひやりと冷たい感じのするハードボイルド。小川のは感情の起伏が大きくてあっけらかんとしている。どちらもいい。好みなのは、小川訳のほう。
バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」(抜粋)を聴く。
収録されているのは、2部の「ロメオただ一人」から「キャピュレット家の饗宴」、3部の「愛の場面」、4部の「マブ女王のスケルツォ」。 全部で約28分なので、全曲の3分の1程度のボリューム。ちょっとした交響詩を聴くような感覚か。
この時期のバーンスタインはイキがいいし、ニューヨーク・フィルのレベルも高い。この演奏も例外ではない。激しい場面での躍動感は素晴らしいし、おとなしいシーンでの情緒はたっぷりだし、随所にある種の霊感を感じる。ベルリオーズには、ある種の霊感が必要なのだ。
「マブ女王のスケルツォ」はかなり速いが、ホルンが見事についていっている。コクのある音もいい。
チャイコフスキーのバレエ音楽がそうであるように、この曲も抜粋版で演奏されることが少なくない。レコード1枚分に収まるくらい、あるいはコンサートの彩り的な役割を与えられたときである。この演奏も、最初に発売されたときは、違う曲とカップリングされることを前提に選曲されたのだろう。チャイコフスキーもそうであるが、カットされた曲に大きな魅力がある場合がある。普段は耳にする機会が少ないから、新鮮に感じるということもある。だから「白鳥の湖」もそうだが、この「ロメオとジュリエット」もまた、全曲を聴かなければ音楽の魅力の手ごたえをじゅうぶんに感じたことにはならない。
バーンスタインの全曲版は、晩年にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で振ったものが映像化されているよう。一見の価値はあるかもしれないが、オーケストラの技量を鑑みると、ニューヨークで録音してほしかったなぁ。
1959年10月、ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオでの録音。
プラム?
在庫がなく、ご迷惑をおかけします。
5月下旬に重版する予定です。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR