ドストエフスキー(亀山郁夫訳)の「カラマーゾフの兄弟」第2部を読む。
この部での大きな読みどころは、イワン・カラマーゾフが創作した「大審問官」のくだりと、ラストのゾシマ長老の談話とのふたつだろう。
談話は、前半がいい。これは、兵隊だった自分がどのような心の過程を経て僧職についたかについてを語るところ。不可思議な自分の精神、そんな自分を支えてくれる周囲の理解の描写が大変面白く、ぐいぐいと引き込まれる。
ただこの談話、後半につれてだんだん何を言わんとしているのかわからなくなってくる。というか、つまらない。なので、けっこう読み飛ばしてしまった。
「大審問官」は大学のときに読んだ記憶がかすかに残っている。
舞台は15世紀のスペイン、セヴィリア。降臨したキリストを捌く大審問官の独白劇のような仕立てになっている。神の否定を論理的に行っており、非常に強い説得力をもつ。とてつもなく劇的であり、重量があり、人間臭い。これを、欧米の人間が読むとまた印象は全然違うのだろう。
ちなみに訳者の解説によれば、「神」のプロとコントラ(肯定/否定)は次の派閥に大別される。
肯定派:アリョーシャ、ゾシマ長老、キリスト
否定派:イワン、大審問官、悪魔
これは大審問官が語る、キリストが人間に与えた自由についての記述。
「人間というこの不幸せな存在にとっては、生まれながらに授かった自由という贈り物をだれにいち早く手渡すべきか、その相手を見つけるための心配ほど、苦しいものはないのだ」。
なんだか、耳が痛い。
後にサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言ったが、このセリフは「大審問官」の影響かもしれない。
ジュリアス・カッチェンのピアノで、ブラームスのバラードop.10を聴く。
上記のジャケットは、あまり見かけられないと思う。昔、台北に駐在していた頃、現地で買ったもの。
メインは晩年のルービンシュタインが弾いたブラームスのコンチェルトで、これを目当てにしたのである。だから当時は、カップリングの「バラード」はあまり意識して聴いてこなかった。というか、忘れ去っていた。
それから10年余り。yoshimiさんたちの影響で少しずつブラームスのピアノ曲を聴くようになった。いつだったか、ピアノコンチェルトを聴いてみようとルービンシュタインのCDを取り出してみたら、当該CDに「バラード」が含まれていることを発見したのである。
ブラームスのピアノ曲と言えば、カッチェン。彼は外せないだろう。なにしろ全部録音しているらしい。この曲も、全集の一部なのかもしれない。
1曲目はアンダンテ-アレグロ-アンダンテ。「冬の旅」を思わせるような、さびしげなピアノである。カッチェンのピアノは録音のせいもあるのかもしれないが、やや硬めであり、エッジがキッチリと立っている。若きブラームスの陰鬱な青春は、暗くて、激しい。
2曲目はアンダンテ-アレグロ・ノン・トロッポ。アンダンテは明るい色調である。和音がどことなくソナタ3番に似ている。穏やかな音楽。なんとも言えない表情である。ロマンティックが濃い。それに対しアレグロは激しい。
3曲目はアレグロ。激情の迸りを、カッチェンは軽やかで力強いタッチで弾きぬいている。日曜日の夜の都会みたいな、幻想味に溢れている。
4曲目はアンダンテ・コン・モト。突き抜けたような明るさがあるが、この曲も表情は微妙。穏やかなものの、それが幸福だからなのか、心配事が頭を占めているのかわかりかねる。カッチェンは心の襞を丁寧に描いていて、とてもデリケート。
1964年1月、イギリス、ウェスト・ハムステッドでの録音。
プチ女子会。
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