ベルリオーズ「幻想交響曲」 ドホナーニ指揮クリーヴランド管高田純次の「適当日記」を読む。
ある日のできごと。6月17日。
「父の日なんだって? 娘たちが小さかったころは、プレゼントをもらったこともあったね。今では、さっぱりだけど。
最後にもらったのは、10年も前になるかな。靴磨きセットをもらったんだ。
『自分で磨け』って、ことなんだろうなぁ。
それ以降は、ほったらかしにされてるよ。
『一人で生きろ』って、ことなのかな?」
「オレは、娘には、ある程度厳しく接してきたつもりだけどね。『親バカ』って、みっともないでしょ?
ただ、ナンパした女の子が、娘の同級生だったときには、
『この、バカ親!』って言われたけどね。
ただ、純粋にかわいかったから、声をかけただけなのに。
人間、純粋すぎてもダメなんだね。」
電車の中では読まないほうがよい。
ドホナーニの「幻想」。
ドホナーニの日本での評価はあまり高くないようだ。評論家筋の受けはいまひとつだし、出てくるCDは軒並み廃盤になる始末。
縦の線をきっちり合わせた堅実な演奏をするので出来不出来の差はない反面、意外性に欠けるところが面白くないという見方なのかもしれない。
でも、ときどきホームランをかっ飛ばすので、この指揮者は油断がならない。
最近聴いた中では、ウイーン・フィルをバリバリ鳴らせた「中国の不思議な役人」に溜飲が下がったし、マーラーの5番ではショルティ/シカゴを上回るほどのディテイルのこだわりを見せつけられてたまげたものだ。
このドホナーニ盤、3楽章までのクールな肌触りがケーゲル/ドレスデン・フィルの演奏に似ている。
淡々とした音が冷え冷えとした空気のなかに漂う。穿った見方をすればそれを狂気ととらえることができるかもしれないが、むしろ標題を抜きにしてひたすら澄んだ音のおいしさを味わうべきだろう。
2楽章ではコルネットを使用、多彩な響きに華を添える。マゼールはCBSでもテラークでもコルネットを使用しているので、これはクリーヴランド管の伝統なのかな。
この演奏、4楽章からがもっと素晴らしい。
個々の技量と緻密な合奏、そして鋭利な切れ味でもって大変な音響効果をあげている。楽譜に書かれている全ての音符が眼前に飛翔するようだ(楽譜を見ているわけじゃないけど)。ラストのシンバルと大太鼓の溶け合う音の重量感は、これをつまみにワインを1本あけられるほどだが、そんな間もなく怒涛の終楽章に突入する。
怒りの日をチューバが奏しているうしろでゴンゴン鳴り響く大太鼓、触れれば切れそうなヴァイオリン、冷静に正確に音を刻む木管群。全部の楽器が渾然一体となって音の饗宴を繰り広げる。
大太鼓が皮を軋ませながら最終結部へ突進、オーラスはピッコロとトランペットの熱い咆哮で締めくくる。
ベルリオーズの「幻想」は録音こそ多いものの、これといった演奏が少ないように思う。
普通に演奏してもそれなりに盛り上がるからなのかな。
いままで聴いた中で印象に残ったのは、テレビで観た小澤/ボストン饗の78年の来日公演と、エアチェックしたアバド/ルツェルン祝祭管、CDではクリュイタンスとパリ音楽院管の来日公演とミュンシュ/ボストン饗(62年)。
このドホナーニ盤はその中に加わる。録音のよさを考慮すればベスト。
1989年10月、クリーヴランド、メイソニック・オーディトリアムでの録音。
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