グリュミオー(Vn) マルケヴィチ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団内田樹の「ひとりでは生きられないのも芸のうち」を読む。今まであたりまえと思いこんでいたことの理由が、平易な言葉で語られている。
著者は本書の目的を「現行の社会秩序を円滑に機能させ、批判を受け止めてこれを改善することが自分の本務である」と考える人を定量的に確保することだとしている。
でも、みんながそうした「常識的な人」にはならなくてよくて、できれば20%程度、せめて15%いればいいという。
「経験的に言って、五人に一人が「まっとうな大人」であれば、あとは「子ども」でもなんとか動かせるように私たちの社会は設計されています」。
どこかで聞いたことがある比率でしょう。そう、「2・6・2」の法則である。どんな会社も、できる人が20%、フツーの人が60%、できの悪い人が20%で構成されている、というアレである。これは社会全体にも言えるのだと、著者は経験則から唱えているわけだ。
そうであれば、残りの80%でいいじゃん。こんなふうに、ほっとするワタシはもちろん、お気楽組なのである。この本は実はそのお気楽組に対しての説教でもあることに、読み進むうちに気づいたのだった。
ベルクのヴァイオリン協奏曲は、まずグリュミオーのヴァイオリンの音色の美しさに惹かれないではいられない。艶やかな張り。キレのいい細めのフォーム。音そのものはクセがなくニュートラル。この楽器に期待する最良の音がここにあるといいたい。
注意深く感傷を排したヴァイオリンに、オーケストラがまたよく合っている。すみずみまで手の行き届いた緻密な合奏は、冬の湖のような透明感がある。見はらしがいいから、音が多い。こんなにいろいろな声部が聴こえる演奏は、いままで聴いたことがない。やられてみると、こうしたアプローチはこの曲に合っているように思う。さすがマルケヴィチ。
今まで聴いたこの曲のCDにはハズレが少ない。シェリング、パールマン、キョンファ、ズーカーマン、クレーメル、どれもそれぞれ魅力的。面白く聴かせやすい曲なのかもしれない。今の気分では、グリュミオー盤を第1に推したい。
録音は1967年。素晴らしく鮮やか。目隠しでは、録音年代を当てられない。
1967年1月、アムステルダム、コンセルトヘボウ大ホールでの録音。
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内田さんは、普段もやもや漠然と思っていることを、明快に言葉にしてくれるのです。この本には、善意は回るというような格言の論拠を、こと細かに語っています。説教なのですが、語り口はいたってソフトなのです。
グリュミオー、相変わらずうまいし、きれいですね。いうことなし。あと、この演奏についてはマルケヴィチのオケがとてもいいように思うのです。細やかだし、見通しのよいものです。