高橋秀実の「損したくないニッポン人」を読む。
髙橋節はこの本でも絶好調。綿密な取材に裏付けられた知識を惜しげもなく披露し、自分の考えと合わないものについてはたとえ相手が松下幸之助であろうとしっかり批判する。
題材は、スーパー、家電量販店、百貨店、そしてポイント・カードといった具合に多岐にわたるが、「損をしない」をつきつめたものは親鸞の教えにあることを喝破する。
「歎異抄」にこうある。
「念仏をして地獄に落ちても後悔はしない。なぜなら、自力で修行に励んで仏になれる人が念仏をしたがために地獄に落ちるのなら後悔もするだろうが、どの修行も及ばない身なのだからもともと地獄が住み処に決まっている。」
これを踏まえ、極楽浄土と地獄はどちらが良いかを、著者はこう結論づける。
「極楽浄土を求めれば、得られなかった時にその努力が損になる。たとえ得られても自ら求めて得たものにはお得感がない。しかし最初から地獄だとすれば、まかりまちがえて極楽浄土を得れば得するし、得られなくても決して損にはならないのである。地獄は損しない。」
スーパーの2時間無料の駐車場の議論から、地獄の話。
この飛躍がステキだ髙橋秀実。
シフのピアノで、ヘンデルの「鍵盤楽器による組曲第2巻第1曲」を聴く。
この曲は、「プレリュード」、「ソナタ」、「アリアと変奏」、「メヌエット」の4曲から成る。
ヘンデルの組曲をピアノで演奏したものには、リヒテルとガヴリーロフの名演奏があるが、このシフもなかなか。端正にして簡潔に大きな音楽を描き切る。
「アリアと変奏」は、ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」のテーマとなっている音楽であり、これを聴くと、ブラームスはなんと実直にそのまま自作に取り入れたことが驚くくらいにわかる。テーマをなんの味付けもせず、そのまま引用しているからだ。
ライナー・ノートを書く長木誠司によれば、バッハ全集の出版は1851年に始まり1899年に完結、ヘンデル全集は1858年に始まって1902年に完結しているとのこと。そのように、ブラームスの時代は今のように情報過多ではなかった。バッハやヘンデルの作品をすぐ手に取れるわけではなく、模索しながらの模倣だったわけ。それでも彼は、第一級の作品を紡ぎあげた。
それにしても、この「アリアと変奏」、原曲そのものが変奏曲なのである。なんだか複雑なことだ。もちろん、ヘンデルの変奏も素晴らしい。ブラームスに比べれば規模は小ぶりだが、端的で切れ味鋭い。
シフは確かな技巧を駆使して、ヘンデルの壮大な宇宙を軽やかに飛翔する。
1994年12月、アムステルダム・コンセルトヘボウでのライヴ録音。
初夏。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR