田中慎弥の「共喰い」を読む。
「においが来る。このあたりはまだ下水道の整備が完全ではなく、家々の便器は一応水洗式だったが、汚水そのものは川へ流れ込むようになっている」。
鬼畜のような父を憎みながら生活する高校生が主人公。その彼も、同級生との怠惰なセックスに溺れている。憎い父の性癖を彼も受け継いでいて、戸惑う。時代は昭和の最後期であるが、臭気漂う、みだらな街の雰囲気はどこか戦後を想起させ、それはどこか、「泥の河」に似ている。
ラストは急展開、それは前半の流れからある程度予想されたものだったが、あたかもターミネーターを思わせる手口に、どんよりと湿った空気のなかに、わずかなユーモアの光を感じた。
ルネ・ヤーコブス指揮コンチェルト・ケルン他の演奏で、ヘンデルの「ジューリオ・チェーザレ」を聴く(1991年7月、ケルン、グランド・スタジオでの録音)。
この曲、筋書きをわからないまま聴くと果てしない。CD4枚、4時間の長丁場はワーグナークラスで、トリスタンよりも少し長い。でも、退屈はしない。彩り鮮やかであり、個人技もじゅうぶんに堪能できるから。
明るくて、じつにおおらか。人生、常にこうありたいもの。
アリア(ソロ及び重唱)とレチタティーボの繰り返しの構成だが、アリアは華やかで技巧的だし、レチタティーボはスマートな旋律が何気なく施されていて、飽きない。チェンバロとリュートがとても雄弁。
アリアのテクニカルなことといったら、まるで「魔笛」の夜の女王が立て続けに出てくる感じ。これはなるほど、現代日本のリサイタルにも登場するだけのことはある。歌手たちは、軽々と歌いこなす。2幕最後の重唱は、瞬間的に沸騰するように劇的であり、興奮させられる。
合唱は、ラストに少し出るが、全体を通して、ソリストのためのこれは曲だろう。
長いために日本では上演の機会はなかなかないかもしれないが、舞台を観たくなった。
ジェニファー・ラーモア(チェーザレ)
バルバラ・シュリック(クレオパトラ)
ベルナルダ・フィンク(コルネリア)
マリアンヌ・レルホルム(セスト)
デレク・リー・ラギン(トロメオ)
ドミニク・ヴィス(ニレーノ)
ジューリオ・ガナッシ(アキッレ)
パースのビッグムーン。
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