ヘンデル「メサイア」 A・デイヴィス指揮トロント交響楽団、他藤原正彦の『数学者の休憩時間』を読む。
将棋の次の一手は、直感によるものだという。プロの棋士は、ときに一手に何時間も費やすことがあるが、それは、瞬間に閃いた手が正しいかどうかを確認することに時間をかけているのだ。膨大な確認作業を行った挙句、第1感で選んだ手を指すことが多いのだという。
藤原によれば、数学は直感が大切だと言っている。それを「数感覚」という。178円の牛乳と795円のコーヒーを買うとき、千円でおつりがくることを計算せずにわかるのは、数感覚の一例だという。
「四則演算は、小学校のうちに、有無をいわさず強制的に叩き込むのが最善と思う」。
そう、この感覚は本能的なものだけではなく、訓練によって生み出されるものだ。訓練を重ねることによって、直感が育まれてゆく。
将棋は論理だといわれるけど、こういうところが数学と似ているようだ。
モダン楽器による演奏。響きそのものはとりたてて素晴らしいわけじゃない。
どちらかと言えば、くすんだ音色である。そもそもトロント交響楽団が強い個性を持ったオケではないし、ことさら渋い音を聴かせるわけでもない、中性的なオケである。実際、ここではそれを超えるなにかが起こるというふうでもない。いたってフツーの、どこにでもありそうな音だ。合唱団もそう。色気がないというか、華に欠けるというか…。渋いというよりは、そっけなさを感じる。
だから、やけに堅実ではある。技術的に不満はない。その実直な姿勢には頭が下がるけれど、面白みに欠けるので、時間が長く感じるのだ。
と思っていたのは、途中まで。
2部の後半から、なかでも、派手な曲については、打って変わって光彩を放ってくる。ことに『ハレルヤ』。
ここぞとばかりに楽器を鳴らせていて痛快。オルガンの重低音を基調に、合唱団、弦、トランペット、ティンパニが華やかに炸裂している。生で聴いたら、いかにも盛り上がりそうだ。
それから『ラッパがなりて』がいい。トランペットがしっとりと軟らかくて、強弱のつけかたが繊細だ。奏者が明記されていないが、これは名人の手によるものとみた。
ラメイのバスは力強い。『メサイア』のバスは難しいので、スタジオ録音といえど、けっこうみんな音をはずす。ラメイもはずしているところがないわけじゃないけど、それを補って余りある立派な歌だ。筋肉質な声でもって、しっかりとした歌をズシンと腹に響かせてくれる。
バトルは絶頂期の声でそれは甘くて魅力的だけど、いまひとつ曲にあっていないような気がする。声のつややかさはカークビーにも負けていないが、アリアで浮いた感じがするのは、声の化粧が少々きついからだろうか。
エイラーは声の線の細さでもって引き締まった表情をみせていて、若々しく端正な味わいがある。
クイヴァーのアルトは、陰影に富んでいる。少し陰りが強いかもしれない。悲しみの色が濃い。
終曲は壮大なもりあがりを見せる。モダン楽器でこれだけティンパニを強く叩くのは珍しい。
この演奏では、賑やかな曲でとたんに指揮者が生き生きしてくるようだ。
A・デイヴィス、プロムスで鍛えた腕はだてじゃない!?
キャスリン・バトル(ソプラノ)
フローレンス・クイヴァー(アルト)
ジョン・エイラー(テノール)
サミュエル・ラメイ(バス)
トロント・メンデルスゾーン合唱団
トロント交響楽団
アンドリュー・デイヴィス(指揮)
1987年、トロントでの録音。
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