ブラームス ピアノ・ソナタ第3番 エフゲニー・キーシン(Pf)小谷野敦の「軟弱者の言い分」を読む。
相変わらずの愚痴と悪口のオンパレードである。それでも読んでいて嫌にならないのは、彼に共感するところが多いからである。
彼の人生観らしきもの(というか不満)は、本書のまえがきに集約されていると思う。
「兼好法師の『徒然草』には、「友に持ちたくない者」として、「体が丈夫で病気のない者」が挙げられている。まったくそうだ、と私などは思うのだが、兼好以外にこういうことを言った人を聞かない」。
世の中の理屈は、体の上部な人間の論理でできている。彼は人生における大きな不条理をここに示している。
私も深く同感、というほどではないにせよ、言い分はよくわかるのである。よくわかる。
後半の文芸時評も面白い。読みたい本が増えた。
エフゲニー・キーシンでブラームスのピアノ・ソナタ3番を聴く。
重すぎず軽すぎず、バランスのよいブラームス。テンポは中庸で、王道を行く演奏といえる。適度に残響を取り入れた録音もいい。
左手と右手を微妙にすらして(キーシンが日本デビュー時からやっていたクセ、というか手法)音楽に抑揚と膨らみをもたせている。ことに2楽章が顕著。ドラタティックであり、とても効果的。
3楽章。ライナーによれば、ジェームス・フネカーはこれを「ブラームスの書いた最高のスケルツォ」としているらしい。フネカーって誰だ、という疑問はありつつ、私も同感である。4番の交響曲や2番のピアノ協奏曲も素晴らしいが、パッションの燃焼度の高さにおいて、このソナタをとりたい。この演奏は、熱い情熱に溢れていて、幻想的。雨の降りしきる都会の深夜の佇まい。しかも、どこを叩いても揺るぎないような堅牢さも持ち合わせている。
全体を通して、キーシンのセンスが満遍なく冴えわたっている。いい演奏だ。
2001年12月、フライブルク、SWRスタジオでの録音。
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