バルザック(平岡篤頼訳)の「ゴリオ爺さん」を読む。
「おれたちの幸福なんて、君、いつでも足の裏から後頭部までの間に収まっているのさ」。
この小説は2つの主題が軸となっている。
ひとつは、美しい娘をもつ小金持ちのゴリオ爺さんの話。ふたりの娘を可愛がるがあまり、貯蓄と年金を取り崩して金を用意し、貴族の家に嫁がせる。親心子知らずで、娘たちはわがままな生活を謳歌し、ゴリオのことは省みない。
ひとつは、出世の野心を持つ学生ラスティニャックが、貴族の奥様連中を利用して社交界に足を踏み入れていくストーリー。それを手助けするのは刑務所あがりのヴォートラン、悪漢の魅力たっぷり。
ゴリオ爺さんの顛末は、「リア王」を思いおこさせる悲劇であるが、そこにラスティニャックとの邂逅があるところに、小説としての深い奥行きがあると感じる。
そしてこの小説の最大の魅力は、饒舌にして華やかなバルザックの文章である。語彙が異様に豊富なのである。
「最後にまた、若い放蕩者という、文字通りの人でなしの下劣な快楽を忍ばねばならなかったあとで、彼女は花咲き乱れる恋の国を逍遥することにあまりにも大きな安らぎを感じたので、きっと彼女にとっては、そのさまざまな景物に見とれ、じっと草のそよぎに聞き入り、純潔なそよ風にいつまでもなぶられていることが、ひとつの魅力だったのであろう」。
このようなパワフルで息の長い文章は、バルザックの持ち味と言えるだろう。
ゼルキンのピアノで、ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を聴く。
テーマは、ヘンデルの鍵盤楽器のための組曲第2巻の第1曲。これに基づいて25の変奏を展開させている。ブラームスの最高峰の作品に数えても、そう異議はないだろう。
ゼルキンのピアノは全曲を通して凛とした立ち居ぶるまい。聴いているこちらも姿勢を正さないわけにいかなくなるよう。
テンポは全体を通じて中庸。テーマの音色はやや硬めのアルデンテ、やがて主題を展開してゆくにつれ、柔らかなタッチも使い分けるようになり、硬軟織り交ぜた音色を惜しみなく披露する。
音が多くて一見混濁している場面においても、右手と左手が奏でる音が明快にわかれて聴こえるため、とても見通しがいい。
ゼルキンは、高らかな勝利の25変奏からフーガにはアタッカで入り、眼が眩むような高揚感を築き上げている。このフーガは、あたかもロマンの衣を纏ったかのような大バッハの佇まい。豪奢で堅牢な建造物。
ときにペダルを踏む音が、あたかも通奏低音のように響くところは愛嬌。
1957年5月22日、ルガーノ、テアトロ・クルザールでのライヴ録音。
海辺。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR
ゼルキン師の「ヘンデル・ヴァリエーション」、10枚組のボックスにたまたま入っていたのでありがたく堪能しました。79年のものは、1番のコンチェルトとのカップリングのようですね。1番を持っているのでなかなか手を出しにくい感じです。。
ゲルバーですか、、、いかにも良さそうですね。いつか聴きます。
予報によれば今年は暖冬とのこと、たしかにワタシはまだコートなしで出勤しています。いつまで続けられることやら。
風邪などおひきになりませんように。