ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ポリーニ(Pf) ティーレマン指揮ドレスデン国立管弦楽団白石一文の「この世の全部を敵に回して 」を読む。
これは、亡くなった友人の独白という形にした小説。
その手記の後半に、こうした記述がある。
「戦争、テロ、狂信、犯罪、飢餓、貧困、人種差別、拷問、幼児虐待、人身売買、売買春、兵器製造、兵器売買、動物虐待、環境破壊---私たち人間は歴史の中でこれらのうちのたった一つでも克服できただろうか。答えは否だ。そして今後もそんなことは絶対にできないのだ」。
同感である。人間として生きる以上、これらを避けられているとは思えない。いままでの歴史および現在がそうだからだ。他人事ではない。自分だっていくらか加担している。となると、生きる意味はあるのだろうか。
「私たちにできるのは自らを、そして他人を哀れみ同情することだけだ。その哀れみの心を私たち全員が持ち続けることができるなら、この世界の過剰な残酷さの何割かはたちどころに消滅するだろう」。
これが、ひとつの回答だとワタシは読み取った。仏教の本にも近いことが書かれているが、結論に至る経緯は異なると思う。
先月にBSで録画しておいたコンサートから、ポリーニのブラームスを聴く。
ポリーニはライヴの人だ。なんていうと、「ライヴじゃない人っているの?」なんてきかれそうだ。確かにそうなのだが、セッションとライヴとの温度差において、ポリーニはかなり大きいほうじゃないかと思う。
特にそれは、70年代に録音したショパン(練習曲!)を聴いたあとに経験すると、より顕著に感じる。
テクニックや音質よりも、勢い重視。いままで2回聴いた限りでは、そんな印象がある。
このブラームスもそう。テクニックに関しては、70歳にしてなお衰えを感じさせない。速いパッセージもなんのその、楽勝で弾いているように見える。日ごろの訓練のたまものなのかな。
ただ、音楽のうねりとか起伏といった要素はいささか希薄で、一本調子という感がある。音色も特段きれいとは言えない。でも、3楽章で一気呵成に突き進んでゆく勢いはやはり魅力的であって、興奮しないわけにはいかないのだ。
これからもまだまだ、元気な演奏を聴かせてくれそうだ。
ティーレマンの指揮は重厚。恰幅がいい。
ドレスデンの、まったりしていて濃い音色がおいしい。
2011年6月、ドレスデン、ゼンパー・オパーでのライヴ。
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