フォーレ チェロ・ソナタ トルトゥリエ(Vc) ハイドシェック(Pf)今日は、先週の休日出勤分の振り替え休日。けっこう忙しい状況なのだが思い切って休んでみた。
で、電車に乗って4つ先の駅にある大きい本屋へ。平日の昼間の書店はすいていていい。
最近は新書がはやっているようで、いろいろな出版社から新書が出ている。題名をみるとどれも面白そうで読んでみたいものが多くて困ってしまうが、実際に読み応えのある本には、なかなか出会うことができない。
そのなかで、「不機嫌な職場」を読む。
だいたいいつも、ビジネス書と小説を半々くらいで読んでいるのだが、どちらかといえば、後に印象に残るのは小説である。小説とひとくくりに言っても、良いものからどうでもいいものまであって一概には言えないが、私の場合、平均するとビジネス書よりも記憶に残ることが多いみたいだ。
小説と同じようにビジネス書もピンからキリまであるわけだが、こちらのほうがハズレが多いように感じる。
「不機嫌な職場」はいくつかの書店でベストセラーになっていて、たしか評判もそう悪いものではなかったし、確かに読んでいるときはわりと面白く読んだものの、読み終わったとたんに、全てを忘れ去ってしまった。
ビジネス書にはこの類のものが多い。読んでいるときは共感したり納得したりと調子がいいのだが、終わるとなにもかもなくなってしまうケース。
私の記憶力に問題があるのかもしれない。
フォーレの最も有名な作品である「レクイエム」の透明感あふれる神々しさを聴くと、いかにも禁欲的なイメージがこの作曲家にまといつく。彼は全作品でも滅多にフォルテッシモを用いなかった、などという話は、それに輪をかけたものだ。
でも、実際の彼はさほど敬虔なカトリック信者ではなく、むしろ多情な人物だったらしい。
結婚したあとも何人かの業界関係の愛人を持っていて、それはわりと有名な話であるようだ。
「あんな美しい『レクイエム』を書いた人物がけしからん」と憤るヒトもいるかもしれないが、私はむしろ好感をもってしまう。実生活と芸術とはあいまみえず、である。
フォーレの2曲あるチェロ・ソナタは、いずれも晩年の作品。
どちらも、作曲者の激情的な面をうかがうことができるが、今日は2番を聴く。
冒頭から動きが激しい。ピアノの神経質で点描のような和音に乗って、チェロが荒々しく素早いフットワークを聴かせる。それはくぐもっていて非常に攻撃的な憂鬱さであり、精神的な危機を感じさせる。
2楽章はテンポが遅いのでいくぶん落ち着いたかに聴こえるけれど、気分は妙な高揚をみせている。
発熱してうなされる夜更けの気分だ。
終楽章は荒れている。ピアノはいつもせっかちで、チェロもせわしがない。曲そのものに、演奏が輪をかけている感じだ。
ハイドシェックのピアノは、音が粒だっていて輝かしい。ダイナミックの幅が広くて雄弁だ。
トルトゥリエのチェロは情感のたっぷり入って動きが激しい。
晩年の作品でありながら、実に精力的な、絶倫な音楽といえる。
1974年、パリでの録音。
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