バッハ「マタイ受難曲」 メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団、他藤本篤志の「御社の営業がダメな理由」を読む。
この本をおおざっぱに要約すると、以下の2点になる。
営業日報は書かない。時間の無駄であり誰もまともに読まないから。その代わりに、マネージャーが毎日営業部員の報告を対面で聞く。
2番目は、営業部員のスキルを伸ばすことは難しい。よって、サボらせないで数多くの機会をこなすことにより、成約の確率を増やす。
新味はない。きわめてまっとうなことを言っている。だけど、行くつくところはこういった地道なやり方なのだな。ジンセイみたいだ。ジンセイか。
だけど、この内容で185ページもたせるのは、少々無理があるみたい。
メンゲルベルクの「マタイ」。
テンポの変化が大きい演奏である。ことに6曲目のアルトのアリア「改悛と悔恨が」、そしてそれに続くソプラノのアリアのテンポの収縮はすごい。手に持ったコップを落としそうになる。このズッコケ感覚にはまりだすと、やみつきになりそうになる。
1939年の録音でありながら、歌手の声は鮮明に捉えており、十分に聴き応えがある。
さすがに合唱はツラいものがあるが、音が悪いせいで、なんともいえない迫力があるのも事実だ。
ソロ楽器の音質はよい。オーボエなどは清々しい悲しみがリアルに伝わる。全体的にはなんとか鑑賞に耐えうるものだ。
歌手はみんないい味を出している。ポルタメントかけまくりのモダン楽器に、それぞれよく合う歌唱。
福音史家のエルプは、透き通る美声をいかした高音が魅力。音程が微妙な部分は少なくないが、それを補って余りある情感に溢れているように感じる。それに対して、ラヴェリのイエスは淡々としていて重厚。これといった個性の強さはないものの、安定感は際立っている。
ドゥリゴのアルトは深くて、厳しさを感じさせる歌。「憐れんでください、私の神よ」では、甘いヴァイオリンとあいまって、骨太の存在感がある。
ヴィンセントのソプラノは、艶やかさと繊細さにおいて、現代にいても違和感がないだろう。
第二部の後半、イエスの絶唱となる「エリエリラマサバクタニ」以降の臨場感は尋常ではない。
特に、コラールのあとの場面「そのとき神殿の垂れ幕が」では、福音史家の歌は絶叫になり、ヴァイオリンは嵐のように荒れ狂う。背筋に戦慄が走る。こんなに激しい音楽のシーンは、そうあるものではない。
とはいえこの演奏、いいところばかりではない。
カットが多いところはよしとする。ライナーに宇野功芳が書いているように、ただやみくもに全曲を演奏すればいいものではないという意見には同感。ただでさえ長いからね。
ただ、終曲の前のバスによるアリア「わが心よ、おのれを潔めよ」 が省かれているのは、いただけない。
直線的に悲劇を描こうとしたがために、この慈愛に満ちた歌を除かなければならなかったのか。
あるいは、当時の習慣だったのか。
いずれにせよ、全曲中の白眉であるこのアリアをカットしているところは致命傷であり、これを補って余りある演奏、とまではいかない。
カール・エルプ(福音史家)
ウィレム・ラヴェリ(イエス)
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイス・ヴァン・トゥルダー(テノール)
ヘルマン・シャイ(バス)
ツァングルスト少年合唱団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)
1939年4月2日の録音。
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