マリア・カラスのソプラノ、セラフィン指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団・他の演奏で、ドニゼッティの「ランメルムーアのルチア」を聴きました(1953年1-2月、フィレンツェでの録音)。
カラスのキャリアは、なんとなくモノラル時代とステレオ時代にわかれると思うんです。ステレオになっても、そうたいした歳ではないのだけれど、微妙に、スタイルが違ってくる。声のよさというよりも、情感の深さみたいなところで勝負をしている。録音のせいもあるのかもしれないけれど。プレートルとやった「カルメン」なんかはそうではないかと。
とはいいつつ、キャリアの最初の頃だって、彼女には感情をぐっと掘り下げて歌にする技量があった。サーバタとの「トスカ」がそう。最後のスカルピアとのやり取りの壮絶なことといったら。これを聴いてしまったら、他のはぬるいと思わされます。深さと艶やかさと勢いとが、うまい具合に同居しているように感じます。
だから、彼女を聴くとき、新旧のディスクがあるならば、なるべく最初に旧いほうをとり、そのあと新しいディスクを聴くようにしています。
これは、カラス3組目のオペラ録音(正規)。「トラヴィアータ」と「ジョコンダ」はチェトラでの録音で、EMIとはこれが初めてらしい。初期のものなんですね。1953年にしては古めかしい音だけど、声の生生しさ、弦楽器の艶やかさはよく捉えられています。
主役級3人は、件の「トスカ」と同様です。当時の最高、というか今だにまったく色褪せない。甘くて柔らかで輝かしい響きのステファノ、重厚でアンチ・ヒーローの匂いがプンプンするゴッピ、言うことありません。
でも、このディスクは、カラスの歌唱を聴くためのものと言ってもいいのではないかと。実際、そのように聴きました(笑)
とても深く奥行きのある声でもって、感情の襞を丁寧に掬い上げる歌唱は、じつに情緒に富んでいる。なんというか、声そのものが悲劇的。だから、ルチアは最後とてもひどい目に遭うわけですが、それがパズルの最後の1ピースみたいにしっくりくる。
「狂乱の場」は長いアリアですが、もちろんカラスは難なく歌い切る。フルートとの掛け合いのところは、もう痺れるくらい素晴らしい。悲痛さのなかに、幻想的な光が灯っているような、そんな歌唱です。
セラフィンの指揮は、抑揚がほどよく、生気が漲っており、万全。
マリア・カラス(ソプラノ)
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)
ティト・ゴッビ(バリトン)
ラファエル・アリエ(バス)
ヴァリアーノ・ナターリ(テノール)
アンナ・マリア・カナーリ(メゾ・ソプラノ)
ジーノ・サッリ(テノール)
フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団
パースのビッグムーン。
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