マキノ雅弘監督の「日本侠客伝」を観る。
高倉健のヤクザ物である「昭和残侠伝」シリーズは何本か観たが、このシリーズは初めて。わずかに日本侠客伝のほうが早く、ふたつのシリーズはほぼ並行して制作されたようだ。
しばらく観ていくうちに両者の違いがわかる。こちらの高倉健はいちおうカタギであることと、コミカルなシーンがあること、そしてラストの討ち入りのシーンは身内で集まってわりと計画的に実施することだ。そういったことを考慮すると、もともとヤクザあがりでケンカも単身で行う「昭和残侠伝」のほうにスゴ味は感じる。
高倉の周囲の人間描写はこちらのほうが生き生きと深く描かれているように感じた。ことに長門裕之、中村錦之助がいい味を出している。
ゲイリー・グラフマンのピアノ、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲2番を聴く。
この曲を聴くと、宮城谷昌光の不思議な問いかけを思いだす。それは「チャイコフスキーのピアノ協奏曲2番とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とではどちらをとるか」というようなもの。
おかしなことを考える人だな、と思いつつ、この数ヶ月頭にひっかかっていた。時間軸で考えると、「カラマーゾフの兄弟」のほうが大作である。例えば光文社文庫だと5巻になるので、1冊3時間として15時間かかる。対してチャイコフスキーは40分前後で聴き終えられる。
ただ、芸術の価値は時間ではない。そこを間違えると変なことになる。
ことほどさように、チャイコフスキーのこの音楽は魅力に富んでいる。1番と同じくらいか、少し上回るか。
ただ、問題もある。2楽章の扱いである。ピアノそっちのけで朗々と歌うヴァイオリンとチェロの場面が、けっこう冗長なのである。楽譜がないのでわからないが、ここをノーカットで演奏すると十数分かかるのではないか。ということもあり、一般的には1番ほどには演奏されないのだろう。
この録音では2楽章はカットがある(はず)。それを差し置いてもいい演奏である。
グラフマンのヴィルトォオーソぶりは十分に発揮されており、音色もきれい、雰囲気もいい。ことに1楽章における腹にズシンと響く重低音の迫力、カデンツァのラストの高音域の粘りは素晴らしい。3楽章の推進力は空気を裂くロケット砲。
フィラデルフィアの演奏は万全。よく鳴り、適度に甘い。
1965年2月、フィラデルフィア、タウン・ホールでの録音。
おでんとツイッターやってます!ヘンリー、その2。
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