エドガー・アラン・ポー(巽孝之訳)の「ライジーア」を読む。
「人間の心のメカニズムには多くの不可思議な謎があるものの、そこには名ににも増して戦慄をおぼえるほどに刺激的な事実、しかも学校などでは断じて教えられることがなかったと思われる事実がひそむ。」
ギリシャ的な寛容と威厳をもった美しい「ライジーア姫」の、鮮やかきわまる黒い瞳に魅せられた男は彼女と結婚するが、長くは続かない。彼女はやがて病に倒れこの世を去るからだ。
悲嘆にくれた彼は、ライジーアが残した莫大な遺産で、イングランドの片田舎に屋敷を持つ。
「王族ですら叶わぬほどの豪奢な装飾を施したいという欲望に屈したのだった。」
そこで阿片にがんじがらめになった彼は、金髪碧眼の娘と結婚するが。。。
男が作った屋敷の佇まいが登場人物のひとつとなりえるところは、「アッシャー家の崩壊」あるいは「赤き死の仮面」と相似する。
阿片中毒になった男のなれの果ては、まさに「幻想交響曲」の主人公のよう。そしてまた作者自身の姿も投影しているかのようだ。
ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルの演奏で、チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」を聴く。
1975年にカナダで生まれたネゼ=セガンは現在、ロッテルダム・フィルとフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を兼任する売れっ子指揮者。録音活動もDGと契約して快調。
といいつつ、彼の演奏を聴いたのはわずかにフィラデルフィア管弦楽団の来日公演をテレビで観たきり。マーラーの「巨人」だけでは、彼がどういう音楽を作る指揮者なのか、いまひとつ掴めなかった。
この「悲愴」は、とてもしなやか。弦楽器群がたっぷりと麗しく鳴っている。ギリギリのところでポルタメントはかけないものの音が長いため、濃厚に甘い香りを放つ。
だから、1楽章の第2主題や、4楽章全般は聴きどころ。響きには光沢があり艶やか、メランコリックな味がある。ロッテルダムの弦はいい。
そういう方向を生かしてのことだろう、激しい部分は角がとれてまろやか。3楽章のマーチは勢いよく疾走。じゅうぶん迫力があるが、荒ぶる音は抑えめ。フォルテッシモでも音色が柔らかなので、ズシンと腹にくる。
ヴァイオリンは対抗配置。
2012年10月、ロッテルダム、デ・ドゥーレンでの録音。
海へ。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR