アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団の演奏で、チャイコフスキーの交響曲2番「小ロシア」を聴く(1972~73年、ソルト・レイク・シティ、モルモン・タバナクルでの録音)。
最近はこの曲の副題を「ウクライナ」と云うことが多い。「小ロシア」という表記は蔑視だとの意見もあるが、ジャケットの記載通りにしておく。
これは、素朴で実直な演奏。
ユタ交響楽団はアメリカのエリート・イレヴンには入らないものの、実力派のオーケストラ。この曲でも歯切れのいい演奏を聴かせてくれる。
(ちなみに、1973年当時のイレヴンは、シカゴ響、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、ボストン響、クリーブランド管、ピッツバーグ響、ミネソタ管、ロス・フィル、サンフランシスコ響、シンシナティ響、バッファロー・フィル、グレイター・マイアミ・フィル)。
冒頭のホルンは琥珀色の憂愁に満ちたもの。続くピチカートを背にしたファゴットも冴えていて、このあたりでもう演奏の質の高さは保証された。
アブラヴァネルの采配だろう、普段は聴きとりづらい細かな副声部がハッキリと聴こえる。フォルテッシモであろう激しい場面でも、とくに木管楽器とコントラバスがわりとハッキリと聴こえるところが面白い。
モーリス・アブラヴァネルは少年時代にアンセルメと同じ住宅に住んだことがあり、その影響から作曲を始めたり、ミヨーやストラヴィンスキーなどと面識を得るなどして次第に音楽にのめりこんでいく。やがて父に医師になるよう説得され、チューリヒ大学の医学部に入るがなじめず、反対を押し切って音楽家になることを決意。やがてドイツのオペラハウスの指揮者として人気を博するが、ナチスの台頭によりユダヤ人である彼はパリに亡命。しかし間もなくオーストラリアに移住し、シドニーなどでオペラを振り、それが評判となりメトロポリタン・オペラから招へいされる。しかし、落ち着いて指揮をする場所が欲しかった彼は、招かれたユタのオーケストラで骨を埋めようと考え、辛抱強く鍛え上げ、そのオーケストラを一流の域にまで成長させる。
この録音は彼が70歳前後のもの。
とても充実した演奏なので、他の曲も大いに期待できる。
駐車場。
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